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日々是好日2017-道場での日々 Days in Dojo (Japanese only)

ホームページの管理人の日記です。

Index
 12月  27日  稽古納め
 25日  有明海の海苔
 23日  水田道場の忘年会
 23日  柿の剪定
 20日  ある日の稽古
 7日  銀座のクリスマス
 11月   20日  松本さん再来訪
 18日  メルボルンから
 16日  幸せの柿
 5日  山崎先生農園の柿
 3日  全日本剣道選手権大会
 10月   28日 イタリア語で『忠臣蔵』
 23日  なっちゃんが三段に
 22日  イタリアからの便り
 21日  台風襲来
 18日  エルマーノさんとマッテオさんの帰国
 12日  ディエゴさんとファビオさんの帰国
 10日  イタリアからのお客様7
 9日  イタリアからのお客様6
 8日  イタリアからのお客様5
 7日  イタリアからのお客様4
 6日  イタリアからのお客様3
 5日  イタリアからのお客様2
 1日  イタリアからのお客様1
 9月  29日  晴れた日のお葬式
 26日  電車で席を
 25日  昨年の今ごろ
 18日  舞台の袖から
 8日  イタリア語の歌
 2日  第16回薬業剣道大会
 8月  30日  福島からの朗報
 23日 駒田くんの帰省 
 21日  依田先生の昇段
 16日  イタリア語迷走
 15日  終戦の日に
 9日  8月の水田先生
 7日  道場の風景5
 1日  心に残る言葉
 7月  29日 岡野先生が退院しました 
 27日  岡野先生のお見舞いに行きました
 26日  男性語と女性語
 22日  みどりの指
 16日  団体選手権
 5日  道場の風景4
 2日  各地の桃太郎
  6月  29日  道場の風景3
 27日  インターハイ予選女子個人3位
 26日  duolingo(デュオリンゴ)
 21日  油断
 19日  駒田くんおめでとうございます!
 17日  水田先生アステラス製薬剣道部に
 16日  夏椿
 13日  柿の摘果
 10日  関東高等学校剣道大会 個人戦第5会場
 7日  頑張れ、なっちゃん
 6日 道場の風景2 後日談 
 3日  道場の風景2
 1日  梅仕事完了
 5月  31日  5まで数えよう
 27日 イタリアから
 26日 山崎先生の梅
 25日 ドロシーさんからの返信
 23日 清少納言
 20日 柿の摘蕾
 12日 ドロシーさんの消息
 9日 おめでとう、なっちゃん!
 8日 「いつも」のありがたさ
 1日 水田道場るすばん隊
 4月  27日 春の夕暮れ
 25日 山崎先生が
 22日 東競武道館におじゃましました
 19日 筍掘り
 17日 水田道場の旗
 15日 雷神
 13日 桜の満開
 12日 お孫さん報告第1号
 11日  漢詩「送友人」
 8日 稽古を「頂く」
 6日 意外に遠い道場
 3日  もったいない
 2日 福島におじゃましました2
 1日 福島におじゃましました1
 3月  30日 小林先生
 29日 道場の風景
 28日 春の朝(あした)
 27日 お帰り、藤原くん
 23日  木蓮
 20日  何を書きましょう?
2017/12/27

今日は道場の稽古納めでした。数年前の年末、道場に着いたらその日はおいでにならないはずの水田先生が座っていて「今日が稽古納めだと奥さんに話したら『それじゃ行かないとね』と言われたんだ」と話してくださって、とても嬉しかったことを思い出しました。

今日も先生は道場にいらして、皆の剣道形を見てくださり、稽古もつけてくださいました。先週より人数はだいぶ多かったのですが、稽古の最後には吉沼先生も水田先生にかかりました。八段の先生どうしの稽古を七段の先生方も注目しているのが分かり、私も先生方の後ろからお稽古を拝見しました。

今年最後の稽古だからと思うあまり「こんな事がしたいわけじゃないんですううう~」ということを沢山してしまい、来年こそは!という宿題が更に増えましたが、お礼のご挨拶で水田先生の前に進み出たら「この一年、頑張りましたね」と言っていただき、その瞬間に道場の照明が少しだけ明るくなったような気がしました。

「また新年にすぐ会おうな!」と手を振りながら帰っていかれる先生方を見送り、校門を閉めて今年最後の稽古が終わりました。

2017/12/25

水田先生の範士ご受称祝賀会で佐賀の伝統芸能『面浮立(めんぶりゅう)』を舞ってくださった峰松先生が、「道場の皆さんに」と有明海の海苔を送ってくださいました。

「海苔は冬に採れるのが一番美味しいんだよ」と水田先生が話してくださり、そういえば昨年の暮れにいただいた海苔も美味しかったなあ、と思いながら頂きました。子どもたちは、水田先生の「この海苔の名前はなんだか分かる?しげノリだよ!」という楽しいだじゃれに笑い転げていました。

峰松先生、今年も美味しい海苔をどうもありがとうございました。またお目にかかってお稽古いただける日を夢見て頑張ります!どうぞ良いお年をお迎えください。

2017/12/23

夕方は水田道場の忘年会でした。とにかく稽古熱心な方が集まっている水田道場、お酒の席でも早速剣道の話が飛び交います。

段位も実力も、道場主を務められてもおかしくないような先生方が揃っているのに、水田道場の先生方は仲がよく、宴会も本当に楽しい雰囲気です。

家族の少ない私にとって、道場の先生方はちょっと家族のようだなと思うことがあります。そして、良い家族でよかったなと思います。

美味しいお料理をたくさんいただき、楽しいひとときに感謝しながら来年も頑張っていこう、と思いました。

2017/12/23

水田道場の先生方が何人も都道府県対抗予選に出場された日の午前中、私は山崎先生の広大な農園で、柿の木の剪定を習っていました。柿は今年実のなった枝の先に蕾をつけるそうです。あまり多くの蕾が育たないように、枝を剪定していくのが今回の作業です。

柿の畑はすっかり冬景色、地面も日陰は白い霜に覆われていましたが、朝日があたり始めた所はその霜が露となってキラキラと輝いており、きれいだなあと、しばらく眺めてしまいました。摘蕾、摘果をした頃に茂っていた柿の葉はすっかり落ちて、木はなんだかひとまわりもふたまわりも小さくなったように見えました。

何十本もの木を管理されているだけあって、山崎先生の剪定には迷いがありません。のこぎりの扱いも、先生は数回引いただけで太い枝もきれいに切るのです。一方、私は細い枝を切るにもいちいち迷い、少し太い枝になると何度のこぎりを引いてもまったく切れず、農作業実習生としてはひどい有り様でしたが、本人は無心で作業に没頭する体験をさせていただき、楽しい時間を過ごしました。

山崎先生、どうもありがとうございました。未熟な実習生を温かく見守ってくださり、感謝しております。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2017/12/20

今日の稽古が始まった時、見渡すと私以外は八段の先生がお二人、七段の先生が三人でした!

水田道場では時々、こんなことが起こります。自分があまりに場違いなところにいるような気がして「もう誰も来ないかな?」とキョロキョロしてしまうのですが、どのみち仕事などで遅れてみえる先生方も高段で、事態はそんなに変わりません。

けれども考え方を変えれば、こんなすごいところで稽古もしていいと言っていただいているのですから、こんな贅沢なことはないのです。開き直って肝を据え、自分の精一杯を見ていただき、先生が手渡してくださるものを全力で受け取ればいいのだと思うことにしました。

いらした先生全員にお稽古をいただき、先生方どうしの稽古もしっかり拝見し、早く帰って剣道ノートを書こうと思いながら帰途につきました。

2017/12/07

用事があって同僚と二人、銀座へ行きました。家と職場と道場の3ヶ所をぐるぐる回る日々を過ごしていると、銀座はまるで地球の外の世界のように思えます。

あちこちに飾ってあるクリスマスツリーは、これが道場にあったら明かりは半分でいいかもなあと思うほどの眩しさです。でも、道場の最奥に掲げられる水田道場の旗を見上げる時の嬉しい気持ちを思い出すと、最近だんだん寒くなってきた道場がもう懐かしく、自分が幸せでいられる場所が確かにあることにあらためて感謝の気持ちが湧きました。

伊東屋で壁一面にかかる来年のカレンダーを眺め、山野楽器で楽譜を探し、隣の木村家であんぱんを買って、最後は教文館でクリスマス市を冷やかして帰りました。

2017/11/20

メルボルン武道会「謙志館道場」の松本さんが再び水田道場を来訪されました。

一度稽古をするとどうしてこんなに心が近くなるのか、会うのは2度目なのに、駅で再会した時はまるで高校時代の友達に会うような気持ちで手を振ってしまいました。とはいえ、道場に着くと、ちょっと人見知り(個人の意見です!)?と思われる水田道場の先生方も次々に親しくお声をかけてくださったので、「おかえりなさい!」という気持ちで再会できたのは、松本さんのお人柄によるところが大きいのかもしれません。

全国審査の直前ということもあり、多くの人が稽古に来ていて、松本さんも充実した時間を過ごされたと思います。
近々また帰省のためにまた帰国されるとのことで、再会を約束してお別れしました。松本さん、またお稽古もお願いいたします!

2017/11/18

来週月曜日、メルボルン武道会「謙志館道場」の松本さんが再び水田道場にいらっしゃいます。昨日「日本に着きました!」とお便りをくださいました。

松本さんはいま五段、昇段審査を受審するために帰国されました。7月に水田道場にいらした時に、駅から道場までたくさんお話ししたのがとても楽しく、剣道に対してとても熱い方だなあ、また水田道場に来てくださるといいなあと思っておりましたので、「またお邪魔したい」とメールをいただいた時はとても嬉しかったです。

「私は先生じゃないから、"松本さん" で!」とおっしゃるので、松本さんと呼ばせていただくことにしましたが、水田先生を頼りに前に進もうとされている方を仰ぎみて応援する気持ちに変わりはありません。

また月曜日にお目にかかれるのが楽しみです。実り多い稽古になりますよう、お祈りしています!

2017/11/16
職場のお昼休みが終わろうとする頃、私の机の上の電話が鳴りました。守衛所からの内線で「山崎さんという方がみえてるんだけど?」と言う守衛さんの後ろで、昨日もお稽古いただいた、よく存じ上げているお声が「山崎です」とおっしゃっているのが聞こえ、慌てて守衛所まで駆けていくと山崎先生のいつもの白い車が停まっていました。

「これ、皆さんで」と100個近く入っているのではと思われる大きな柿の箱を渡してくださり、「えーっ!」と驚いている間に帰ってしまいました。とりあえず守衛さんにひとつお裾分けし、「ええっ、剣道七段!?そりゃすごいな!」と感心しきりの守衛さんと一緒に先生を見送りました。

重そうだから持とうかと言ってくれた方にひとつ、ドアを開けてくれた方にひとつとお裾分けをしながら自分の居室に帰るまでに、山崎先生の柿は何人もの方を幸せな笑顔にしました。柿を手にした人は「いいの?」「ありがとう!」と顔を輝かせ、それからそれぞれ、いろいろな柿の話をしてくれました。

昔はおばあちゃんの家に柿の木があったんだけど・・とか、固い柿が大好きなのよね!とか、うっかり柔らかくしてしまったのをスプーンで食べたらツルンとしてとても美味しかった・・とか。

この人は私の勤める研究室の研究員です。とても大雑把に言うと遺伝子の研究をしている博士です。先日2つばかり差し上げた柿を、ハイハイを始めた息子さんにも「食べさせたんですよ」と話してくれました。

こんなにたくさん・・とびっくりした柿、30分ほどであっという間になくなりました。私も研究所の一員だから・・と自分にいいわけして、ちゃっかり2つ頂いて帰りました。山崎先生、みんな幸せになりました。どうもありがとうございました。
2017/11/05
山崎先生の柿の木1本の『一年オーナー』にしていただき、「そろそろ収穫においで」と言っていただいて今日の午後、先生の農園におじゃましました。私の柿の木は広大な柿畑の端っこに立っていますが、思いのほか大きな木で、とても採りきれないと思うくらいたくさんの実がなりました。

びっくりするほど大きな柿です。秋の青空に誇らしげにぴかぴかと輝いて、どの実も本当に可愛いなあ~と思いました。

ひとつひとつの実を大きくするために、心の中で「ごめんなさい」と謝りながら摘蕾をしたこと、心を鬼にして摘果したのに先生から「まだまだ足りない」と不合格をいただいたこと、二度の台風の予報図とにらめっこしながら気が気ではなかったことなどを思い出しながら、ひとつひとつ大切に収穫しました。

山崎先生、「私の柿」と呼べるほどお世話できなかったですが、オーナーにしていただいてこの一年、本当に楽しかったです!どうもありがとうございました。来年は、今年の木の隣のもう少し小さな柿の木のオーナーにさせていただければと思います。また来年もどうぞよろしくお願いいたします!
2017/11/03
インタビューに答えた出場選手の何人かが「子どもの頃から憧れていた大会」と言っていました。小さな子ども達から道場を率いる先生方まで、そしてテレビ放送のおかげか剣道をしていない人たちまでもが注目するのが、この全日本剣道選手権大会なのではないでしょうか。

そんな大会の、たった18人しかいない審判の一覧に、自分たちの先生のお名前と顔写真が載っているというのは、実に嬉しいことだとしみじみ思います。

先生は 1回戦の第4試合から第一試合場の主審として登場されました。第二試合場の主審は豊村先生でした。中京大学の同級生でいらした豊村先生と水田先生がお二人ともに範士となられて、全日本選手権の試合場で並んで審判を務められたのです。

同じ剣道部で剣道に青春をかけ、数十年後にこんな風に晴れの舞台で並ぶことのできる同級生というのはどのくらいいるのかなあと思いました。
2017/10/28
来日したイタリア人剣士のうちの一人、『忠臣蔵』が大好きなディエゴさんが「YouTubeに忠臣蔵の話をイタリア語で語ったものをアップしたよ」と連絡をくださいました。

https://www.youtube.com/watch?v=6rTgelDpoKk

見てみると、確かに『忠臣蔵』の概要がイタリア語で紹介されている模様です!
『忠臣蔵』のどのあたりが、ディエゴさんの胸を打ったのか、会ってお話しできた時にもっと詳しく聞いてみればよかったなと思いました。
2017/10/23
なっちゃんが「三段に合格しました」と皆さんにご挨拶とともに飲み物を配ってくれました。

厳しい勝負の世界にいるなっちゃんにとって、昇段審査はどんなものなのか・・私にとっては何ヶ月も前から考えただけでも緊張してしまうような大事(おおごと)だったのですが、なっちゃんにとっては期末テストくらいなのかな?と思います。

お母さんの駒田先生は「一切無駄打ちのない立合いだった」となっちゃんの立合いに大満足の様子で、筆記試験も問題なかったみたいです、と笑顔で話してくださいました。

水田先生の教えのとおりに、正しい剣道で強くなれることを見せてくれるなっちゃんの稽古には、到底あんな風にはできないと思っても目も心も惹かれます。先生に向かって姿勢正しく立つ彼女の姿は、正しい道を歩こうともがく私を照らすひとつの光だなと思います。

なっちゃん、ご昇段おめでとうございます。まだまだ上へ、その大きな翼で羽ばたいてください!
2017/10/22
イタリアの皆さんが帰国して5日経ちました。携帯の電話番号を交換したので、ラインのようなシステムで写真やメッセージを気軽にやりとりできるのですが、毎日4人のどなたかからメッセージをいただきます。

ヴェネツィアからこんにちは。日本の皆さんが懐かしい(エルマーノさん)
稽古の後にまたみんなで集まりました(ディエゴさん)
朝起きて自分の家にいることが、そして茨城にいないことが不思議な気持ちです(マッテオさん)
あなたたちのことを家族のように思っています。ヴェネツィアに来てくれたら本当に嬉しい(ファビオさん)

そして、これらのメッセージに必ず添えられるのが、水田先生とご家族の皆さんへの感謝です。どうかよろしくお伝えください、と繰り返し書いてあります。

私も皆さんがいま遠いヴェネツィアにいることが信じられないような気持ちです。イタリアでも「ドラえもん」が放映されているそうですが、誰か、どこでもドアを発明してくれないかなあと思います。
2017/10/21
台風が近づいているので、山崎先生のお家にうかがい、11月初旬に収穫期を迎えるはずの柿「陽豊」を一部早めに収穫しました。

春から摘蕾、摘果と柿の木の世話について教えていただき、まったく戦力にならないながらお手伝いの真似事もさせていただいて、けなげに大きな実をつけた柿の木を私なりに大切に思います。柿の実がひとつでも風で落ちるのが本当に悔しい気持ちです。

季節外れの台風、きっと進路が逸れる・・と希望をこめて予想していたのですが、予報円がなかなか日本列島から外れません。私の数億倍の時を柿の木と過ごしてきた山崎先生のお気持ちはいかばかりかと思います。

作物を育てる難しさと自然に逆らえないもどかしさを、実感する思いです。
2017/10/18
エルマーノさんとマッテオさんが今朝、つくばセンターから成田に向かい、帰国しました。5日に来日してからちょうど2週間、日本を満喫されたことと思います。

観光も稽古も、盛りだくさんの毎日でしたが、水田先生のお側で先生のお話を聞き、先生と一緒に生活できたことがなによりの思い出になったのではないかと思います。イタリア人の皆さんが、言葉が通じないはずの水田先生と理解しあい、先生への敬愛を日に日に深めていくのを、驚きながら嬉しい気持ちで拝見しておりました。

「先生は日本語で僕たちはイタリア語だけど、なぜか分かるんだ。ここでね」とエルマーノさんは胸をぽんと叩きました。

連絡先を交換し再会を約束し、ターミナルを出て行くバスに手を振りました。次はいつ会えるのだろうと思うと「A domani!(また明日!)」と言えたこの2週間が、あらためて楽しかったなあと思います。

イタリア剣士の皆さん、温かい交流を、楽しい思い出を、剣道に真摯に向かう姿を、本当にどうもありがとうございました。またお目にかかれる日まで、私も稽古を頑張ります。
2017/10/12
ディエゴさんとファビオさんが帰国しました。つくばセンターから成田行きの高速バスに乗り込む前のお二人です。

お二人とも、お子さん達がパパの帰国を待ちに待っているそうです。「ヴェネツィアに着いたよ!」と写真を送ってくれました。

訪日は、ディエゴさんは12年ぶり、ファビオさんは時々お仕事で・・とのことでしたが「いつも仕事ばかりで、会議室の外に行ったことがない」と話してくださいましたので、今回の日本滞在はずいぶん違ったと思います。

お二人に会えて、私たちもまたすばらしいものをたくさん頂いたような気持ちです。またお目にかかれる日が楽しみです。
2017/10/10
東京でご用のある水田先生のお供で、イタリア人の皆さんも一緒に東京へ出ました。

行き先について、泉岳寺派と浅草寺派の話し合いのあと、みなで泉岳寺に向かいました。赤穂浪士の物語が大好きなディエゴさんは、この日ちょっと風邪気味でしたが、境内の入口に立つ大石内蔵助の像を見た途端にマスクを外してしまい、「いい薬を見つけたな!」と仲間に大笑いされました。「本当にこんな日が来るなんて・・なんというか、感無量だよ」と言いながら、四十七士のお墓すべてにお線香を供えていました。

その後、やっぱり浅草寺にも行きたい!ということで浅草も駆け足で見物しました。みんな本当に仲良しですね、と言ったら「同じこと(剣道)が好きだからかな。剣道をしている人とはすぐに仲良くなれるんだよ。特に稽古の後ではね」とエルマーノさんがにこにこしながら答えてくれました。
2017/10/09
紅葉の始まりかけた木々の葉がぴかぴかと輝くような秋の一日、イタリアの皆さんは山崎先生のご招待をうけて先生のご自宅におじゃましました。

山崎先生ご夫妻の心づくしのお昼ごはんを美味しくいただき、先生の作られた能面約50点、収集された鍔の数々を見せていただきました。山崎先生の説明を聞く皆さんの目は真剣そのもの、本当に日本の文化に興味を持ってくれているのだなあと感じました。

また、柿狩り体験、能面作り体験もさせていただき、秋の一日を満喫していました。山崎先生、奥様、たいへんお世話になりました。どうもありがとうございました。

晩はいよいよ水田道場へ・・皆さんの歓迎を受けて良いお稽古をいただいたのではと思います。
2017/10/08
今日はイタリアの皆さんは午前中は直心館にお邪魔しました。「強い先生がたくさんいて大変だったけど、とてもいい稽古をいただいた。勉強になったよ!」と話してくれました。

直心館飯島道場のブログはこちらから
http://blog.goo.ne.jp/jikisinkan1

夕方、今回の訪日のお礼をこめてイタリア料理を皆さんにご馳走したい、というお申し出で、水田先生のお宅で「イタリア料理の夕べ」が開催されました。

水田道場の先生方がマッテオさん厳選のワインに舌鼓を打っている間に、台所ではファビオさんがパスタのソース作りに余念のない様子・・パスタがゆであがる頃にはイタリア人剣士が全員お鍋の前に大集合、見事な連係プレイで2種類のパスタをご馳走してくださいました。

おなかがいっぱいになると水田先生への質問タイム、足の幅はどのくらい?、構えはどんな風に?・・時に「道」とは?という質問も飛びだして、言葉の壁を越えて「求めよう」とする皆さんの気持ちに感動し、また我が身を省みる思いでした。

美味しくて、楽しい夕べでした。水田先生のご家族の皆様、大勢でわいわい押しかけたのを歓迎してくださり、どうもありがとうございました。イタリア人剣士の皆様、ごちそうさまでした!
2017/10/07
午前中もみっちり稽古したイタリア人の皆さんは、午後3時半ごろに土浦駅に到着しました。

今日は土浦全国花火競技大会の日、人の波にもまれながら改札を出た皆さんは花火大会に向かう人の多さに驚きながら桟敷席に向かいました。「ちょうどこの時期に遠いイタリアからみえたのだから」と、桟敷席に招待してくれた方がいたのです。

花火が始まるまでは、「イタリアから来た剣道の先生なの?」「イタリアの人も剣道やるんだね!」と言いながら、周りの方々がお酒や食べ物を勧めてくれました。

帰り道がまた大変だったようですが、午前中の雨もあがって絶好の花火日和に日本でも有数の花火大会を見ていただけて、よかったなと思います。
2017/10/06
今日はイタリアの皆さんは東京へ行きました。泉岳寺にお詣りしたかったけれど、買い物が長引いてついに行けなかったとのことでした。

メンバーの一人、ディエゴさんは『忠臣蔵』が大好きだそうで「12年前に東京に来たことがあったけど、帰国してから泉岳寺が東京にあると知ってショックだった!」と話してくれました。今回の来日で行けるといいですね!

夕方は、つくば市内で行われている製薬会社の稽古会に水田先生と共に来てくださいました。
2017/10/05
午前10時、定刻より30分早くイタリア人剣士の皆さんが成田空港に到着しました。
ヴェネツィアの「イタリア水田剣道クラブ」の皆さんです。これから約2週間、水田先生のお家に滞在します。

「イタリア水田剣道クラブ」は、25年前に水田先生がイタリアに剣道指導にいらした時に親しくなったエルマーノさんが主宰する道場です。「先生に教わったことを大事にしていきたいという気持ちで道場に水田先生のお名前を冠したのです」と話してくれました。

日本訪問が初めて、というマッテオさんは「イタリアの講習会にいらした水田先生を何度か遠くから拝見したけれど、こんなに近くで先生が見られるなんて・・幽霊じゃないよね?いま、とっても幸せだよ!」と大感動の様子、観光だけでなく、日本の日々の暮らしを体験して帰りたいとのことでした。

皆さんの日本での日々が楽しく、実り多いものになりますようお祈りしています!
2017/10/01
いよいよ水田道場にイタリア人剣士のお客様がやってきます。

5月末に「航空券を買ったよ!」と連絡をもらい、まだまだ先だなあ~と思っていたのですが、10月5日にローマからの飛行機で到着の予定です。

はるばるイタリアから水田先生にお稽古をもらいに来るのですから、思う存分稽古してほしいのはもちろんですが、せっかくの機会なので日本の文化や風土に触れて実り多い旅になるといいなと思います。

来日を本当に楽しみにしてくれている様子が、時々届くメールで分かります。今日は「あと数日だね!」というメールをいただき、
Va bene! (オーケー!)
というお返事を出しました。彼らの滞在がすばらしい日々になるよう、できる限りのことをしようと思います。
2017/09/29
久しぶりにキリスト教式のお葬式に参列しました。故人は95歳、私の上司のお母様です。

みなで賛美歌を歌い、故人に所縁のある方が前に出てきて聖書の一節を読みました。それからお子さんたちが代わる代わるお母様の思い出話をしてくれました。

故人のお目にかかったことはなかったですが、最期の時まで周りのひとの心の支えとなり癒やしとなり、愛されていた方だったのだと分かりました。みな泣いていました。

一緒に参列した同僚たちと「あたたかいお葬式だったね」と話しながら帰りました。
2017/09/26
近所の大学教授の先生とひととき、お話しする機会がありました。

「そういえば、この間ね」と先生がおっしゃるので、何かと思ったら「東京の研究会に行ったんだけど、行きも帰りも電車で席を譲られてしまいました。断るのも失礼かと思ってお礼を言って座ったけれど・・」と納得いかないご様子でした。

先生は70代後半ですが、まだまだお元気で、サックスを演奏し、パソコンを操り、料理も作っておいでです。筑波大で教鞭をとっていらした時には女子学生のファンがたくさんいたのです。

何かの記事で、その日の占いに”席を譲るといいことがあるでしょう”とあったので電車で席を譲ったらなんとも微妙な雰囲気になった、という話を読んだことがあるのを思い出し、それをお話しすると、先生は「そうか、そういうことか」と破顔されました。

たとえ占いに書いてあっても、席を譲る時は気をつけよう!と思いました。
2017/09/25
昨年の今日は水田先生の範士ご受称の祝賀会だったことを思い出しました。先生は駆けつけられたお客様やご家族に囲まれてとても幸せそうでした。どなたの笑顔も輝いて、今思い出しても胸がじんわり温かくなる会でした。

あれから一年、稽古会や講習会で、祝賀会の日にお目にかかった先生方のお顔を発見したり、記念品の手拭いを拡げている方をお見かけすると嬉しくなります。水田先生のご縁の端っこに私もまたしっかり結ばれているのだなと思います。

あっという間の一年でしたが、これからも感謝の気持ちを忘れずにいこうとあらためて思います。
2017/09/18
とあるホールの舞台の袖から撮った写真です。音楽の発表会などでは、客席からみて左側、演劇などでは「下手」と呼ぶこちら側から演奏者は舞台に出て行きます。

次が自分の番という時の舞台の上は、袖の暗がりから見ると眩しく恐ろしく、とてもあそこまで行けないと心底思います。

でも必ずその時はやってきますし、係の人に合図されて光の中に歩き出したら覚悟を決めて弱気は捨てなくてはなりません。今までやってきたことをどれだけ出せるかが問われる時です。ここまで来たら、もうお師匠様も先輩も友達も家族も助けてはくれません。

剣道の試合に出して頂くようになって、舞台と試合はその辺がちょっと似ているなと思います。
2017/09/08
O! mio babbino caro, mi piace è bello, bello
vo' andare in Porta Rossa a comperar l'anello!
Sì, sì, ci voglio andare! E se l'amassi indarno,
andrei sul Ponte Vecchio, ma per buttarmi in Arno!
Mi struggo e mi tormento! O Dio, vorrei morir!
Babbo, pietà, Babbo, pietà, pietà!

「O mio babbino caro」はプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中の一曲で、フィレンツェのポンテ・ヴェッキオに行って、彼と指輪を買いたいとお父さんに訴える若いお嬢さんの歌です。

この歌を初めて聴いた時、なんて美しい曲だろうと思い、このポンテ・ヴェッキオってどんな所なんだろう!と思いました。フィレンツェのガイドブックを見ても写真ではよく分からず、ディズニーシーにそんな名前の場所があると聞いては見物に行って「たぶん、これではない」とがっかりし・・でもフィレンツェは「行こう」と思いきるにはあまりに遠い場所でした。

アルノ川に沿って歩きながらこの橋を見た時、こんな瞬間が私のささやかな人生にもあるんだなと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

最近、単語のひとつひとつの意味が分かってきてまたちょっと嬉しい今日この頃です。
「O mio babbino caro」で検索すると、歌を聴くことができます。個人的にはマリア・カラスの録音がお勧めです。
https://www.youtube.com/watch?v=rnkhtjpZAqQ
2017/09/02
9月2日(土)、つくばカピオにて第16回薬業剣道大会が開催されました。今年は水田先生を審判長にお迎えして、製薬関係企業21社が鎬を削りました。

ライバル会社のはずですが、この大会の参加者は不思議とみな仲がよく、久しぶりの再会を喜びあう人たちの輪があちらこちらで見られました。薬業の剣道大会を提唱し、この規模に育ててこられた薬業剣道連盟会長の杉本八郎先生(教士七段、認知症治療薬「アリセプト」を開発された先生です)のお人柄が浸透するこの大会に参加するたび、剣道がつなぐご縁は本当に温かい、と思います。

大会後の恒例、合同稽古会では水田先生も防具をつけてくださり、ご子息が団体戦に出場された吉沼先生も元に立ってくださいました。

水田先生、吉沼先生、おかげさまで素晴らしい一日になりました。どうもありがとうございました。
2017/08/30
2016年7月3日、福島県剣道女子稽古会の最後は廻り稽古でした。夏真っ盛りの体育館で次々と知らない方が前に立つ稽古は、未熟な私には厳しく果てしない時間でした。

「最後!」の声がかかった時には息があがり、足は動かず、『水田道場』の垂れをつけていなければ隅に行って座りこんでいたかもしれない私の前に現れたのが、錬士六段の八巻先生でした。

前の晩に夕飯をご一緒し、カラオケもご一緒し、ひとつの部屋に女性ばかりワイワイ集まっていろいろな話をする中で、福島県の方々が地震の後やはり今も大変なこと、それから八巻先生が私と同じ年に生まれたことを知りました。同じ年月をこの世で過ごしながら、まったく違う道を辿ってきた先生と私の人生がここで交錯したのだと思い、ここは自分のできる限りで臨まねばならぬと覚悟しました。

先生の剣先は強く、やみくもに打っていってもどうにもならないことが私にすらすぐ分かりましたが、福島にいつまたお邪魔できるかと思い、私も必死でした。何分間の稽古だったのか、最後の笛が鳴った時に八巻先生は蹲踞から立つと私の方に歩いて来られて汗だくの私をぎゅっと抱きしめてくださいました。私も思わずぎゅっとお返しし、心の中で「先生お幸せに、お元気で」と祈らずにはいられませんでした。

今日、八巻先生が第11回相楽杯関東・東北高齢者剣道大会で優勝されたというお便りを頂きました。賞状を持って立つ八巻先生の写真を拝見して、私は本当に、ただただ嬉しかったのです。

八巻先生、おめでとうございます!またお稽古頂ける日を楽しみにしています。
2017/08/23
短い帰省の最中にもかかわらず、駒田登吾くんが防具を背負って道場に現れました。

40校近い医学大学が参加した「東日本医科学生総合体育大会 剣道競技」で、駒田くんの所属する福島県立医大医学部の剣道部は見事ベスト8入りを果たしました。

応援していたお母さんの駒田先生は「皆すばらしい気迫、どの試合でも初太刀にかける熱い気持ちを見せてくれました。そして一本一本を打ち切っていました」と試合については絶賛でしたが、「ただ、髪の毛の色が黒くなくなってて、びっくりしてしまって・・それで写真を送れなかったんです」と困り顔でニコニコなさったので、いいじゃないですか!と大笑いになりました。

若い人たちが仲良く元気に写っている写真には、いつも元気をいただくような気がします。全力でぶつかりあって笑ったり泣いたりしながら学生時代を送って、患者さんとも心を通わせてくれるいいお医者さんになってほしいなあと思います。
2017/08/21
依田先生が六段に昇段されました。つくば市の某国立研究機関で研究員をしている依田先生、いつも忙しそうで、月曜日は道場に文字通り駆け込んで来られます。

水田道場にいらしてからしばらくして、道場以外の先生から「依田さん、このごろ変わったね」と言われているのを横でお聞きし、なんだか私まで嬉しくなっていたところへの朗報でした。

「六段としての稽古ができるかどうかがまた緊張です。段を剥奪されないように頑張らないと・・」とおっしゃる真面目でお茶目なお人柄の依田先生、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2017/08/16
以前ご紹介したDuoLingo、ゲーム形式なのでついつい意地になって毎日やっていたら、ボーナスで特別レッスンをダウンロードすることができました。「Flirting」という名前のこのレッスン、

Hai una mappa? Mi sono perso nei tuoi occhi.
(地図を持ってる?君の瞳の中で迷子になったみたい)

Nel cielo manca un angelo?
(天国から天使が一人脱走している?)

などという例文が満載です。いつ使うのか、実にナゾです!
2017/08/15
山崎先生が「晴耕雨読」で、『夏の花』を紹介されました。大学時代に友人と二人、原爆記念館を訪ねた時のことを思い出しました。本を読んで少し知っているつもりになっていましたが、展示のひとつひとつがあまりにショックで、その日はもうお互いに何も話せませんでした。

市井の人々が戦争のことを書いた本は、読むのが辛いです。でも避けてはいけないと思いますし、子どもたちや若い人達にも避けないで読んでほしいと思います。

手記もたくさんありますが、私は灰谷健次郎『太陽の子』をお勧めしたいと思います。戦争は絶対にいけないのだと、子ども心に刻んだ一冊です。
2017/08/09
8月は水田先生がいらっしゃらなくても頑張る、と日記に書いたその2日後に水田先生が道場にいらっしゃいました。

びっくりしながらも先生が防具をお持ちなのをしっかり確認、心の中で万歳三唱、でもまだ先生も含めて3人しかいないことに気がついて、3人はどうだろう?と心配になり・・「平常心」をつい忘れてしまいました。

結局この日は八段、七段、六段の先生方がいらして、どちらを向いてもすごい稽古となりました。
2017/08/07
「8月は暑いから、水曜日はお休みにしたらどうかな」と、水田先生が呟きました。側に先生方がいなかったのをいいことに、大急ぎで「いえ!水曜日もやらせてください!」と押し戻しました。

毎年8月は講習会、合宿、会議・・と、水田先生は大忙しのご様子です。先生が道場にいらっしゃる時は、全員の「嬉しい」という気持ちが道場に満ちていますが、8月の水田道場は毎年「先生がお留守でも頑張る月」です。

六段以上の方がずらりと並ぶ水田道場、違う場所でなら後進のご指導にあたるような先生方が教えを求めて集まっています。たった一人でもいらしてくだされば、その先生方を仰ぎみて道を歩く者には「来てよかった稽古」になること間違いないのです。

とはいえ、その先生の稽古相手が私だけでは申しわけないので、いろいろな先生にご予定を聞いてみると「もちろん来るよ!」と力強いお返事。水田先生、お留守の間も稽古頑張ります!お帰りをお待ちしています。
2017/08/01
 その方が、《短歌をやめたい》といった人に、おっしゃったんです。
「違うよ。短歌をやめるなんて、そんな偉そうなことをいっちゃいけないよ。短歌をやめるんじゃなくて、短歌に捨てられるんだ。《短歌》というものの方が、あなたに見切りをつけて去って行くんだ」
(北村薫『北村薫の創作表現講義ーあなたを読む、わたしを書く』2008年、新潮社)

この中の「短歌」を他のものに置き換えて読んだ人は多いのではないでしょうか。私は思わず「剣道」に置き換えてしまいました。
2017/07/29

岡野先生が退院しました!たしか25日(火)が手術だったと思うのですが・・お見舞いに行った時は車椅子に乗っていたと思うのですが・・見間違いかと思って、いただいたメールを3回くらい見直してしまいました。

入院計画書には「推定入院期間21日」と書いてあったそうで、そこを手術後4日目に退院するとは、さすが岡野先生というほかありません。

岡野先生、ご退院おめでとうございます!また道場でお待ちしています!

2017/07/27

スキーでお子さんの板を拾おうとして、左膝の十字靱帯を切ってしまった岡野先生が7月25日に手術を受けたので、お見舞いに行ってきました。

手術後のメールに「痛くて寝られない」と書いてあったので心配だったのですが、おそるおそる病室を覗くとベッドは空で、通りすがりの看護師さんが「今リハビリに行っていると思う」と教えてくれました。

手術2日後にリハビリ!?と思いながら待っていると、なんだかちっとも変わらない岡野先生が笑顔で帰ってきて「痛いって言ってるのに先生が『はい、その場で足踏み50回!』なんて言うのよ」とニコニコ・・ベッドに帰ってからも器具をつけて足を曲げるリハビリが続きました。
「この角度で大丈夫ですか、90度まで曲げられますかね」
と看護師さん。
「ちょっと痛いので、70度くらいで」
と岡野先生。
「それじゃ80度」
「75度」
「80度いけますよ」
という攻防が続き、美人の看護師さんは「この病院スパルタですから」と笑顔でひとこと。岡野先生は「大丈夫です。私の剣道の先生もけっこうスパルタなので慣れています」と返していました。

手術しなくても日常生活に支障ないと言われたのに、剣道ができなくなると困るということで手術を決意した岡野先生。回診の先生チームが
「剣道したいということで」
「えっ、剣道ですか」
「剣道ねえ」
「うん、剣道」
とささやきあうのを、何回「剣道」って言うんだろう・・と思いながら聞いていましたが、ちっとも意外な理由ではないと思います!

岡野先生は「運がいいのか悪いのか、お世話になる先生はみな一流、でもスパルタ」と嘆いていましたが、この分なら元気な姿で道場に現れる日もそう遠くないのではと思い、嬉しい気持ちで帰りました。

2017/07/26

イタリアでは物の名前に男性と女性の区別があります。イタリア語に限らず、英語以外のたいていのヨーロッパの言葉にはこの区別があるようです。その理由を追究しはじめると話がとんでもなく長くなりそうなので、今回はちょっと面白い、その区別だけをご紹介します。

【男性か女性か、想像がつく言葉】

男性名詞 女性名詞
padre お父さん madre お母さん
ragazzo 男の子 ragazza 女の子
figlio 息子 figlia
fratello 兄弟 sorella 姉妹

【まあまあ納得?の言葉】

男性名詞 女性名詞
sole 太陽 luna
cucchiaio スプーン forchetta フォーク
pantaloni ズボン gonna スカート
mare nave

【え?そうなの!?意外な言葉】

男性名詞 女性名詞
bocconcino おつまみ birra ビール
uccellino 小鳥 tigre
Giappone 日本  Italia イタリア

誰が決めたのでしょう・・面白いですね!

2017/07/22

どんな植物も上手に育てることのできる人を「green fingers(緑の指)」の持ち主、というそうですが、山崎先生が何本もお持ちのこの指が私には一本もありません。サボテンも枯れるんです、と稽古の後のおしゃべりで嘆いたら「サボテンも育てると面白いんだから」と、初美さんがお家のサボテンを分けてくれました。

水やりも日当たりも気にしなくていい、と言われたのですが、小さな葉っぱがかわいくて、つい毎日サボテンが植わった鉢を持ち上げて、なんだか葉にシワがよっていないか、ちょっと元気がなくなってきたのではないかと心配してしまいます。

植物を育てる時に一番よくないのが「過保護」であると、どこかで読んだ記憶があるのですが、私はついつい水のやりすぎ、肥料のやりすぎで枯らしてしまいます。

今度はちゃんと(?)放任主義で育てるぞ!と、水をあげた方が・・と思う気持ちを振り切って鉢を置くのが出勤前の日課になりました。

2017/07/16

待っていたのは水田先生の笑顔でした。チームとしての負けを喫し、奮闘された先生方の後ろをついて試合場を出たところで水田先生の姿を発見した時、それまで頭の中をぐるぐるしていた試合の反省や悔しい気持ち、情けない気持ちが一瞬吹き飛んで、なぜか、ただただホッとしたのです。

「良かった。とっても良かった」と皆の顔を見回してまず、水田先生はおっしゃいました。それから一人一人に今回の試合について、そしてこれからの課題について、いろいろなお言葉をかけてくださいました。

おかげで私は、自分の試合をしっかり受けとめてまた明日に向かって頑張ろう、と前向きになることができたように思います。

自分だけかな?と思っていましたが、Aチームの先生方も水田先生のお姿を見た途端にこの笑顔・・きっと同じ気持ちなんだな、と思って拝見していました。

それから水田先生の言葉を少しでも聞こう、と選手10人全員が先生のまわりに押し寄せました。皆の気持ちが揃って、あらためて水田道場の結束を感じる一日となりました。

2017/07/05

なっちゃんがあとちょっとのところで国体出場を逃しました。どんな言葉をかけたらいいのか・・剣道によらず何事でもそんな頂点付近へ行ったことのない私には、彼女の気持ちを想像することしかできませんでした。

今日、水田先生が道場にいらして、なっちゃんは先生といろいろなお話をしたようです。先生はご自分の高校生の頃のお話をされました。試合に負けてずいぶん悔しい思いをしたこと、全国大会への出場を逃したこと・・お話の中の水田先生は今のなっちゃんとすっかり等身大でした。同じ苦労をされたからこそ、先生は今の彼女の気持ちをご存じなのだなと思いました。そして彼女に一番いい形で励まそうとしておいでなのだなと思いました。先生のお顔をじっと見てお話を聞いていたなっちゃんは、先生の気持ちをしっかり受け取ったと思います。

道場からの帰り道、メルボルンからいらした松本先生が「自分だけが教えるのではなく、あなたからも受け取りたいというお気持ちで話してくださる水田先生のお人柄に魅力を感じて稽古にお邪魔する決心をしたんです」とおっしゃっていました。

水田先生のお人柄を短い時間で看破された方が水田道場を訪ねてくださったことを、あらためて嬉しく思いました。

2017/07/02

もう10年以上前に、大阪の吹田市にある国立民族学博物館に、各地の方言で「桃太郎」を話してくれる機械がありました。

仕組みは簡単です。大きな機械の上に載っている日本地図のところどころにボタンが付いていて、それを押すと、その地方の方言で語られた「桃太郎」のお話が始まるのです。しかし混んでいる時は横で待ち構えている子どもたちがすぐに「次は自分の番」とばかりに違うボタンを押すので、全然落ち着いて方言の違いを確認することができませんでした。

それである時、朝いちばんで博物館に入り、誰もいない館内を走って行って機械を独占しました。気になる場所から順番にボタンを押して、桃が流れてくるくだりまでをメモすることができました。

高知県南国市の桃は「こっきこっき」と流れてきますし、沖縄県の宮古ではおじいさんが「しゅがま」、おばあさんが「まがま」と呼ばれていました。福岡市博多区では「ふとーか桃が」、鹿児島県冷水町では「ふとかー桃が」流れてきました。

数年前に行った時にはもうこの機械はありませんでしたが、この博物館、世界中から集められたいろいろな物が展示されていて楽しいところです。大人でも420円で入れます。

2017/06/29

先日、水田先生が中学生に「僕が中学生だった時は、一人だけ防具の支度が遅いと先生に『はよせんか!』と叱られてね」とおっしゃってから「あ、これは九州の言葉ね」と付け足されました。

先生は続けて「それから『そんな◎*※△、強か×◎※$#!』って言われたよ。今の、分かった?」と、正座でお話を聞いている中学生の顔を覗き込んだのです。

自分の支度が遅かったと反省中の彼は素直に「はい」と頷きましたが、私は後半、「そんな」と「強か」しか聞き取れませんでした。いつか九州へ、先生方のお供で行くのが私の夢ですが、もしかして会話が聞き取れないのでは・・と心配になりました。

私も、自分に合わせてくれているかもしれない下座の子ども達に迷惑がかかるのを心中で詫びつつ、置いた面の場所やら膝の位置が気になって整列してからモゾモゾしてしまいますので、まずはそれを猛省すべきで、九州弁が聞き取れないことなんぞ悩んでいる場合ではないのですが、それにしてもここまで聞き取れないとは・・水田先生が次に九州の言葉を話してくれる機会を待ちたいと思います。

2017/06/27

3位だなんてすごい、と軽々しく言えない勝負であることは、インターハイとは無縁の人生を歩んできた私にも分かっていました。2位までに入らなければ全国大会に出られないのです。

女子個人戦に出場したのは127名、その中のベスト4ですから、なっちゃんは本当にすばらしい!と思います。でもあと少しだっただけにとても悔しかっただろう・・と思い、ホームページに結果を書いてよいのか迷っていました。

今日、お母さんの駒田先生からメールをいただきました。なっちゃんの顔が「少し変わってきたような気がします。いろいろな経験をして少し大人になったかな」と書いてあって、写真も送ってくださいました。

なっちゃん大きくなったなあ、と写真を眺めて私もなんだか嬉しいような寂しいような気持ちになりました。高校生になったなっちゃんも小学生の頃と変わらずかわいいと思っていましたが、彼女は誰でも行けるわけではない場所で厳しい戦いをするまでに成長したのです。今年はインターハイに行けなかったけれど、全力で戦った経験こそが彼女のこれからの道をずっと照らす光になると信じたいと思います。

2017/06/26

サンフランシスコのチャイナタウンで道をきこうとした時、身振り手振りで「英語わからない。地図見せてごらん」と言われたことがあります。説明は中国語でした。

この人アメリカに住んでるのに!?と思いつつ、とても楽しくなりました。いま世界で話されている言葉は7000種類あるそうです。なんでも英語で済ますのはもったいない!と思うのです。

今日は、私の上司が教えてくれたゲームをご紹介します。「duolingo」といって、スピーカーとマイクが付いていてインターネットにつながる機器(パソコン、スマホ、iPadなど)ならどれでも遊べるアプリです。

duo(2つの)lingo(言語)という名のとおり、日本語→英語のほかに、○○語→△△語の組み合わせがたくさんあります。英語から学ぶページに行くと、スペイン語、フランス語・・などの他に、スワヒリ語、ウクライナ語、ウェールズ語なども並んでいます。

ためしにヘブライ語にチャレンジしたところ、文字がまっっったく読めずに撃沈しましたが、イタリア語は沈没寸前ながらなんとか「ひよこコース」を前進しています。

2017/06/21

今日、稽古前に整列した門下生の前で水田先生が話されたことは、私の心を打擲するものでした。

先生は厳しかったお父様の思い出を、お父様への感謝と共に話してくださり、それから長いインターハイ予選の一日の後で道場に来たなっちゃんに温かい言葉をかけられて「私自身も同じことをしてきたのでなければ、もっと褒めていたと思う」とお話を結ばれました。

稽古の後で素振りをしたことのない我が身を初めて省みる思いでした。十分にやっている、と思っていたのです。先生のおっしゃった「油断」そのものでした。剣道に限らず、学生時代に模試から帰って問題を見直したこともない自分に、学校を卒業して何十年も経ってから初めて気がつきました。

若いうちに人一倍の努力が習慣になれば続けるのは辛くない、と先生は話されました。今からやるのはものすごく辛そうですが・・やらなくては、と思いました。

2017/06/19

「お兄ちゃんがね、準優勝だったんです。えっと、大会の名前は・・」と話してくださる駒田先生はとても嬉しそうでした。

駒田先生の息子さん、登吾くんは今年の春、福島県立医大に合格して福島市へ行きました。受験が終わってからは水田道場の稽古にも来てくれて「剣道すごく久しぶりです」とニコニコしながら頭をかいていたのに・・本当にすごい、と思います。

妹さんのなっちゃんが写真を送ってくれましたので、こちらにも載せておきます。おめでとうございます!勉強も剣道も、両方すごく大変なんだろうなあ~と思いますが、茨城からみんなで応援しています。帰省の時にはまたお稽古お願いします!

2017/06/17

水田先生が、吉沼先生、倉持先生と共に、アステラス製薬剣道部の稽古会にいらしてくださいました。

2時間の稽古のうち、最初の1時間は基本についてのお話とその実践をお手本と共に解説して下さり、集まった製薬会社の剣士の皆さんは、水田道場とほぼ同じ稽古を体験することができました。

緊張したけれどとても勉強になった、と感謝の声が相次ぎました。基本稽古の間皆の稽古を見守ってくださった倉持先生から「ちょっとの間に皆さんがみるみる変わっていくのを見て驚きました」というお言葉をいただきました。

水田先生と吉沼先生はその後の懇親会にもいらしてくださり、みな席を譲りあいながら代わる代わる先生方のお側に行ってたくさんのお話を伺うことができました。関係者の一人として先生方に心から御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

2017/06/16
職場の夏椿が咲きました。夏の初めに咲くこの花を、私は長らく木槿(むくげ)だと思って眺めていましたが、水田道場のホームページに無責任なことは書けないと思い、調べて「夏椿」という花の名前を知りました。

ホームページのおかげで勉強になります!
2017/06/13
山崎先生の農園に、柿の摘果をしにおじゃましました。柿のオーナーになる時に「どの木にするかい」と先生に訊かれて、時々しかお世話できないのだし、真ん中の木を指さすのは図々しいと思って柿畑の一番端っこにある木にしたのですが、たびたびおじゃまして冷静に眺めると、それは先生の柿畑の中でも一、二を争う大きな木でした。

先日の摘蕾が不十分で予想外に多くの実が成ってしまったらしく、「先日の摘蕾は不合格!」とおっしゃる山崎先生の前で呑気に写真を撮っている場合ではありません。2時間ほど必死に作業して摘果を行いました。

小さな柿の実は、このまま育てればきっと美味しくなる・・という予感をはらんで、ハサミで切るのは断腸の思いでしたが「全部残したら大きな実ができないし、来年は実がならなくなるんだよ」と教えていただき、心を鬼ににして一枝に一つ、の法則で柿を残していきました。

最後に山崎先生の「合格!」をいただき、ホッとしましたが、必死すぎて写真を撮りそこねました。また次におじゃました時に少し大きくなった柿の実を撮影させていただこうと思います。
2017/06/10
長い延長戦でした。関東高等学校剣道大会、第5会場で始まった女子個人戦の二回戦は延長戦に入りました。なっちゃんの目印は赤、相手選手の攻めも厳しく、お互いになかなか打てないまま10分、15分・・ついにコート主任の先生の指示で一度休憩が入りました。

「よほど攻めにくい相手なんだな」と呟く声が聞こえます。県の予選を勝ち抜いた人が出る大会ですから、手強いのだろう・・と思いますが、お腹が痛くても喉がカラカラでも、なっちゃんを信じてしっかり見ていよう、と思ったその瞬間でした。

スッと前に出たなっちゃんがしっかりと面を決めたのです。旗が3本一気に上がる、非の打ち所のない一本でした。彼女はこの長時間、この瞬間を探していたのかと思うと、その精神力に驚愕し、感嘆しました。なっちゃんは本当に強いな、と思いました。
2017/06/07
準備運動が始まった時は4人でした。4人といっても、八段、七段、六段の先生と私です。なんて贅沢なんだろう、と感謝しながら素振りをしました。

形の稽古が終わって、基本打ちが始まる頃に駒田先生となっちゃんが入ってくるのが見えました。関東高等学校剣道大会を週末に控えて、高校の稽古も大変なはずなのに・・と感心していると、それに続いて若手の先生が次々に来られました。

剣道に一途な人達の集まる水田道場ですが、もしかして今日は、先生方はなっちゃんのためにいらしたのではと思い、ふと長くなってきた廻り稽古の列の最後尾を見ると、水田先生が座っていました!

水田先生のお言葉を胸に、道場みんなの応援を味方に、そしてこれまでの稽古を自信にして、ひたちなかに向かってほしいと思います。今週末の関東高等学校剣道大会での活躍をお祈りしています!
2017/06/06
6月3日の日記でご紹介した門下生、一週間では置きに行く打ちを直せず、その次の週には水田先生に
「置きに行っていいのは賽銭だけ」
というお言葉をいただいたそうです。

あとは何があるのかものすごく気になるそうで、「水田先生の『おきにいく』シリーズをコレクションしたいけど、ご注意をいただいているのに直さないで頑張る勇気が出ない」と悩んでいました。

それは・・・直しましょう!
2017/06/03
「船が、ね」
稽古の後にご挨拶に行った門下生に開口一番、水田先生がおっしゃったのがこれでした。
「は」
と門下生は次の言葉を待ちます。
「沖へ行くでしょう。船はいいけど、打ちは置きに行ったらいけないよ」
打ちを置きにいっている、という注意を水田先生はそんな風におっしゃったのでした。

こんな時、後ろで聞き耳をたてている門下生は「うわあ、水田先生のだじゃれが出たあ」と思いながらずっこけそうになるのを必死でこらえます。丹田に力の入る一瞬です。
2017/06/01
山崎先生からいただいた梅の「梅仕事」が今年も無事に完了しました。今年は梅シロップ以外に梅酒も数本作ってみました。このほかに、既に「お嫁に出した」ビンもあります。

月曜日、水田先生に梅シロップと梅酒をお持ちしたら、山崎先生が「お嫁に出すのかい」とニコニコされました。一年間、いろいろな手入れをしてやっと大きくなった実が水田先生のお手元に渡るのですから、その嬉しいお気持ちはビンに詰めただけの私の数万倍だと思います。

こちらは2年前に作った梅シロップです。ちょっととろみが出てきて味も1年ものよりまろやかな気がします。暑さに向かうこの時期、稽古に行く前の梅ジュースは元気のもとです。
2017/05/31
イタリア語で5まで数えてみましょう。
1: uno(ウノ) uno(ウノ) un(アン)
2: due(ドゥエ) dos(ドス) due(ドゥ)
3: tre(トレ) tres(トレス) trois(トロワ)
4: quattro(クァトロ) cuatro(クアトロ) quatre(キャトル)
5: cinque(チンクェ) cinco(シンコ) cinq(サンク)

黒い字がイタリア語、オレンジ色の字はスペイン語、緑色の字はフランス語です。
とても似ています。実は、この3つの言葉は、先祖が同じラテン語なのです。

数字以外の言葉も似ているのか・・それはこれから勉強です!
2017/05/27
まだまだ先ですが、10月に水田道場にイタリア人剣士がやってきます。先日「一緒に行く仲間3人と航空券を買いました!」と連絡がありました。

25年前に水田先生が剣道指導でイタリアにいらした時に、先生を空港に迎えに来てくれた方です。数年前に水田道場のホームページを見つけて「水田先生、やっとあなたを見つけました!」とメールをくれたのをきっかけに再交流が始まりました。

そのメールには「今も水田先生の教えを胸に道を歩いています」と書いてありました。先生のお名前を冠した道場で、今は六段を目指して修行中とのことです。ヴェネツィアの道場「水田剣道クラブ」のホームページは、水田道場からもリンクしています。イタリア語ですが、「水田」と書いてあるクールな紋章も載っていますので、ぜひ一度ご覧ください。
2017/05/26
山崎先生のお家に、水田道場数名で梅をいただきにあがりました。

あいにくのお天気でしたが、緑は瑞々しく、全員うきうきしながら梅林を目指しました。

山崎先生の農園は本当に広いので、梅林へは乗り物で向かいます。テーラーというのだそうですが、荷台にカゴと一緒に乗せてもらい、ゴトゴト走るのがとても楽しいのです。ご近所の方々もニコニコしながら見送ってくれます。

梅はこんな風になっています。ひとつひとつが宝石のようです。皆で賑やかにお喋りしながら、大切に摘みました。1時間ほど作業したら大きなコンテナ3つがいっぱいになりました。

山崎先生は「一人でやってると寂しいんだよ~」と言ってくださいましたが、下草はきれいに刈られ、枝は無駄なく剪定されて、こんな風に楽しく梅の実を摘めるようになるまでの作業を殆どお一人でされているのだなと思い、あらためて感謝の気持ちがわきました。お昼もご馳走になって楽しい一日でした。山崎先生、どうもありがとうございました。
2017/05/25
前回のメール(5/12)に「水田道場のホームページを見てね」と返事を出したら、ドロシーさんからお返事が届きました。

Congratulations to Nacchan for her tournament and to Kobayashi-sensei for passing 6dan.「なっちゃんの入賞と小林先生のご昇段おめでとうございます」とお祝いのメッセージを送ってくれました。

Climate in Berkeley is so much easier for practice. It is not so cold in winter and not hot in summer. Also, the gyms usually have air-conditioning. 「バークレーの気候は稽古しやすいです。冬はそんなに寒くなく、夏はそんなに暑くないです。それに体育館はだいたいエアコンが入っています」だそうです!羨ましいですね!

遠いアメリカでも皆のニュースを写真入りで見てもらえて、良い時代だなあと思います。
2017/05/23
山崎先生のホームページ『晴耕雨読』の5月21日「言葉あれこれ」に清少納言が登場しました。清少納言についての面白い考察が、『日本精神史研究』(和辻哲郎、岩波文庫、1992年)に載っているのでご紹介します。

清少納言は平安時代にはまれに見る強気の女性だったと和辻哲郎は書いています。男性に支配されることを嫌い、定子亡きあと落ちぶれてからも、家の前を通りかかって「清少納言も落ちぶれたものだ」と悪口を言った貴族に、御簾を掻き上げて言い返したという伝説があるのだそうです。

剣道の世界にはこのくらいサッパリしていて、姉御肌で、男性の先生にも臆せずにものを言う女性剣士の方はまあまあいるのではないか?と思うのですが、当時はよほど珍しかったようです。

『日本精神史研究』は大正時代に書かれた論文が多く、ちょっと取りつきにくい印象ですが、「へー」が満載の一冊です。
2017/05/20
山崎先生の農園におじゃまして、柿の摘蕾を習いました。昨冬、山崎先生のホームページに「柿のオーナー募集」と出ていたのに応募したのです。先生の広大な柿の林の一番端に私の木があります。

この白い矢印をご覧になれるでしょうか。これが柿の花の蕾で、このひとつひとつに花が咲いて柿の実がなります。こんなにたくさん!?と喜んではいけないのです。今のうちに一枝に2~3個を残して蕾を摘んでおかないと、柿が大きくなりません。

どの蕾を残すかで柿のできが違うと習い、悩みながら汗びっしょりで作業するうちにあっという間に3時間ほど経ってしまいました。この手作業を全部の柿の木で、ひとつひとつしていくのですから山崎先生のご苦労はいかばかりとお察しします。

しかし今日は晴天の下、ウグイスやキジの鳴き声を縫って楽しくお喋りしながら緑に触れる体験ができて、楽しかったです!素人の私が摘蕾した木にも、秋に道場に持って行けるほど実がなるといいのですが・・。
2017/05/12
カリフォルニアのバーレクレーに渡ったドイツ人の物理学者、ドロシーさんから「四段に受かりました」というメールが届きました。

メールは
Last week, I went to NCKF (Northern California Kendo Federation) shinsa and tested for 4dan. 「先週、北カリフォルニア剣道連盟の審査に行き、四段の審査を受けました」に始まり、

I learned yesterday that I passed. I am very relieved and happy. Although I have to say that I would have liked very much to come back to Japan for shinsa. 「昨日、自分が合格したことを知りました。ホッとしたし嬉しかったけど、審査を受けに日本に帰りたかったとすごく思います」と続きました。

彼女は今、仕事のかたわらアメリカ国内の大会に向けて相当厳しい稽古をしているようです。しかし「今も水田先生やつくばで教えていただいた先生方がおっしゃっていたことを思い出して頑張っています。今回の合格は先生方のお陰と感謝しています」とのことでした。

水田道場のホームページを見てね、と返事を書きました。またいつか、一緒に稽古したいです。
2017/05/09
駒田先生が「奈都が3位になりました!」と電話をくださいました。昨日、なっちゃんの稽古の写真を撮らせてもらい、ご本人にもお母さんにも「入賞したらこの写真をホームページに」とお願いしていたので、早速教えてくださったのです。駒田先生の声が嬉しそうで、私もますます嬉しくなりました。

なっちゃんの努力はひたむきです。50校近くある関東高等学校剣道大会茨城県予選で3位になる強豪、岩瀬日大高校剣道部の稽古の後で、そのまま水田道場に来るのです。疲れている日も、家にまっすぐ帰りたい日もあるに違いありません。

でも私はなっちゃんが稽古中に座ったり休んだりしているのを見たことがありません。彼女の稽古を見るたびに、自分は何かこんなに頑張ったことがあるだろうかと自問してしまいます。

なっちゃん、おめでとうございます!これほどの努力は必ず実を結ぶのだと教えてくれてどうもありがとうございます。これからも道場のみんなで応援しています!
2017/05/08
京都にいらした先生方がお帰りになって、水田道場に「いつも」の稽古が戻ってきました。

稽古の前に水田先生が京都大会のお話をしてくださいました。お話は先生ご自身の反省にも及び、門下生に対してこんなに広く胸襟を開いてくださる先生にあらためて心打たれました。

明日に大事な試合を控えている門下生もまさかの登場を果たし、いつも通り厳しい稽古をしていました。

稽古後の挨拶は仕事を終えて駆けつけた方々も加わり、整然と並んだ面は長くて美しい一列になりました。緊張の中にも、こうしていつもの通りに皆が揃っているのは幸せな光景だなと思いながら礼をしました。
2017/05/01
水田先生も吉沼先生も、七段、六段の先生方もほぼ京都に行ってしまわれて「5月1日の稽古はどうするのか?」というのが水田道場るすばん隊(勝手に命名)のひそかな心配でしたが、昨日の晩あたりから「明日の稽古はありますか?」「道場やってる?」というメールが飛び交い始め・・結局9人集まりました!

川島先生の号令のもと、いつもは掛かる側に回る六段の先生方も元に立ってくださり、充実した稽古になりました。

とはいえ、稽古の後の皆の話題は「京都の先生方はどうしていらっしゃるかな」でした。京都にいらした先生方、京都での日々が実り多いものでありますよう、遠い茨城からお祈りしています!そしてお帰りをお待ちしています。
2017/04/27
家の近くの春の夕暮れです。
たそがれ時は「誰(た)そ彼」(誰だあれは?)というほど薄暗くなった夕方の時間をそう呼んだのが始まりとか。

かはたれ時「彼(か)は誰(たれ)」(あれは誰?)というのもあって、こちらは夜明け前を指すそうです。
2017/04/25
山崎先生が能面のお師匠様のところへいらしたついでに私の職場に寄ってくださいました。

上司が「先日いただいた筍のお礼を言いたい」と言って先生の車が停まっている駐車場まで出てきました。「山崎先生は剣道何段なの?」「えっ、七段・・それはすごいなあ」と、直前にいろいろ予習していました。
2017/04/22
今日は水田道場の先生方のお供で東競武道館におじゃましました。

茨城から武道館のある大田区までは渋滞がなければ車で2時間弱、日ごろ私のはるか頭上で輝いている先生方のお供なので、私には自分の実力以外には何の不安もありませんでした。

あれ?と思ったのは防具を着けていよいよ稽古が始まるのを待つばかりとなった頃です。いつも和やかによもやま話に花を咲かせておいでの先生方がみな無口なのです。これは大変なことになるのかもしれない、と初めて不安になりました。いつもと変わらず泰然とされている水田先生の姿を心の頼りに道場の敷居をまたぎました。

しかし稽古が始まればあれこれ考えている暇はありません。お願いした先生に全力でかかるだけ、大変でしたが本当に楽しい時間でした。元に立たれた水田道場の先生方も「いやあ、みんな強いね」「大変だった!」と口々におっしゃっていましたが、やっぱり楽しそうでした。

お稽古はもちろん、東競武道館の先生方の温かいお気持ち、知らない方々と稽古される水田道場の先生方の姿、稽古を待つ間にうかがった水田先生の少年時代の話など、たくさんの宝をいただいて帰りました。水田先生、出稽古に連れていってくださってどうもありがとうございました。
2017/04/19
山崎先生のお家に筍をいただきにあがりました。

山崎先生のお家の裏手から、右手に柿の木ががたくさん植わっている気持ちのよい小径を辿ると、左手に大きな竹林が現れます。


最初に見つかる時はこんな感じです。目ではとても探し出せません。山崎先生が昨日、足で探して目印をつけておいてくださいました。



「それでは掘るぞ」と山崎先生。




周囲を鍬でぐるっと掘ると、おお!大物が出現しました!




最後にシャベルで根っこのところをぐいっと持ち上げます。


山崎先生にお手本を見せていただき、私も筍掘りに挑戦しました。慣れない鍬に四苦八苦、最初は「腰が入っとらんぞ!剣道と同じだぞ」と励ましていただきながら苦戦しましたが、鍬を大きく振り回すより、小さく振って掘っていった方が筍の近くを正確に掘れることに気がつきました。あれれ?これも剣道と関係があるでしょうか?

お天気の良い日に大収穫で、楽しい一日でした!山崎先生、どうもありがとうございました。
2017/04/17
水田道場の旗をご紹介します。

水田道場の旗を作ろう、ということになってこの旗ができました。旗の文字は、ご揮毫をお願いした時に水田先生が書いてくださった言葉に決めました。八方満心とは「四方八方に気が満ちてどこにも油断のないさま」という意味なのだそうです。

手作りなので、近くで見ると布地にフェルトで文字が縫い付けてあるのが分かります。最初は両面テープで文字を貼ってみたのですが、稽古の振動ですぐに文字がはがれ落ちてしまい、稽古の終わりには「おーい、旗に『心』が無いぞう~」と先生方に言われてしまう事態となり、縫うことになりました。

水田先生の後方で『剣道時代』にも載せていただいたりして、意外に活躍(?)しています。
2017/04/15
今日は午前中よいお天気だったのに、午後になって一天にわかにかき曇り、雷雨となりました。窓の外が一瞬まぶしく光って、直後にものすごい雷鳴が轟きました。

2013年11月11日の水田道場も大変なことになっていました。稽古の時間が終わりに近づき、指導稽古で元に立たれていた吉沼先生が水田先生にかかりました。他の人達は道場の隅にかたまって立ち、見学しました。両先生は声も出さずに中段で向き合っているだけなのに、なにかが道場の隅々まで満ちて息ができず、いつもは春のそよ風のような水田先生(いま、高段の先生方の「え!?」という声が聞こえましたが、このまま話を進めることをお許しください!)が、稲妻を投げつけるという雷様のようでした。

私は恐ろしさのあまり、大きな先生の後ろに隠れるように立ち、その陰からそっと稽古を覗いていました。吉沼先生が打って出たのを水田先生が「そこではない!」と一喝、私の前に立って見学していた先生がじり、と下がりました。こんなに強い先生もこの稽古の何かに押されているのかと思うと更に恐ろしく、けれども私にはもう身じろぎをすることも稽古から目を離すこともできませんでした。

これを越えていく人だけが八段になれるのだとしたら、八段とはなんという段だろう、剣道とはなんという世界だろうと思いました。

吉沼先生が八段に合格される二週間前の日のことです。
それ以来、雷が鳴るといつもこの稽古のことを思い出します。
2017/04/13
桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので(坂口安吾『桜の森の満開の下』より)

たいていの人が嬉しい気持ちで眺める桜を、坂口安吾はどうしてこんな風に思ったのでしょうか。でも桜が咲くとやっぱりこの話を思い出してしまいます。

藤崎先生が「桜の写真は撮れましたか?」とメールをくださいました。藤崎先生、どうもありがとうございました。こんな写真が撮れました。
2017/04/12
「ホームページ見たよ」とW田先生が笑顔でおっしゃいました。

「孫が生まれたら書いてくれるんでしょう。昨年の12月29日に女の子が生まれたんだよ!」とのことで、それはおめでとうございます、と申し上げたら、携帯電話を開いて赤ちゃんの写真を見せてくれました。

それはそれはかわいい女の子でした!おめでとうございます!
また道場でお待ちしていますね。
2017/04/11
今日は桜の写真を撮りに行こう!と思っていましたが雨なので、山崎先生のホームページ(4月8日)に載っていた李白の詩「友人を送る」を違う方向から楽しんでみたいと思います。

山崎先生の該当ページはこちらから
http://yamazakinomen.mizutadojo.com/rihaku.html

この詩は「五言律詩」という形式で書かれています。2行で1組の構成です。
【首聯】頭の組
青山橫北郭
白水遶東
【頷聯】あごの組
此地一爲別
孤蓬萬里
【頸聯】くびの組
浮雲遊子意
落日故人
【尾聯】しっぽの組
揮手自茲去
蕭蕭班馬

赤字の部分が韻(同じ響きの文字を末尾に持ってくる)を踏んでいます。
(現代中国語ではcheng)
(現代中国語ではzheng)
(現代中国語ではqing)
(現代中国語ではming)

律詩は2組目の頷聯(あご)と3組目の頸聯(くび)をそれぞれ対句(形や意味が似ているものを並べる)にするのが決まりですが、この詩は「偸春体」といって、2組目の対句が1組目に移動していますので、

青山橫北郭 と 白水遶東城
浮雲遊子意 と 落日故人情

が対句になっています。
この詩は更に、平と仄(中国語の声調を2種類に分けたもの・・といっても平仄のルールは昔の中国語の音に基づいています)が見事な模様を作っているそうです。
→日本語の「平仄(ひょうそく)を合わせる」はこれが語源です。

もうパズルみたいですね!でも言葉でこんなことができるなんて面白いと思います。
2017/04/08
県の稽古会に行ったら、水田先生が入って来られました。そんな時、つい同じ水田道場の人を探してしまいます。目が合うとお互いが笑顔で、先生がみえたね、嬉しいねという気持ちが通じ合うような気がします。

列に並んで先生の稽古を拝見しながら「稽古をいただく」という言葉を教えてもらった時のことを思い出していました。他の習い事では聞いたことのない言葉でした。

今日、稽古をつける先生の姿を見ていて、私は稽古の時に一番良いところを見てほしいと思うあまり「自分を出す」ことばかり考えていたなと思いました。先生が目の前で見せてくださる構えや技のすべてをまず頂けばよいのではないか、と思いました。

と、思ったところまではよかったのかもしれませんが、いざ自分の番が来ると「今日はここだけは直す」という悲願まで忘れ去っていつも通り・・また反省でした。
2017/04/06
先日、水田先生のお家から道場まで運転する機会がありました。道中は先生がいろいろなお話をしてくださり、道案内もしてくださったので、楽しく運転しているうちに道場に着きましたが、時計を見たら30分も経っていました。

茨城県の地理がどうもまだよく分かっていない私は、道場が先生のお家の近くにあるような気がしていたのですが、これでは自分の家から道場までの方が近いくらいだと思いました。

この道のりを、先生ご自身が防具を持って運転して稽古に来てくださることに、あらためて感謝の念が湧きました。
2017/04/03
『剣道時代』の取材があったので、水田先生がいつもの基本稽古の模範をカメラの前で披露されました。

取材の様子を撮影させてくださいとお願いしたのに、いつもは必死に目に焼き付けるしかないお手本を記録できるのだと思うと「もったいない!」という気持ちが働き、つい動画ばかり撮ってしまって写真がほとんど撮れませんでした。

撮った画像を確認しながら、これをライヴで見られるということが一番の幸せなのだとあらためて気がつきました。
2017/04/02
飯坂温泉での一泊、夕飯の後は14人の女性剣士が一番大きな部屋に集まって、いろいろな話に花が咲きました。翌日の女子稽古会の前半が審判講習ということもあり、審判について、かなり真剣な議論も展開されました。自分のわずかな試合経験と審判経験を振り返っていろいろ考える機会をいただき、とても勉強になりました。

茨城県からおじゃました3人は佐藤さとみ先生と同じ部屋に泊めていただき、布団に入ってからもいろいろなお話をうかがうことができました。

お話ししていて、佐藤先生は何ごとにもまっすぐな方だなあと思いました。先生のまっすぐな気持ち、まっすぐな目、まっすぐな剣を、福島県の女性剣士の皆さんが慕い、進む道の明かりとされていることをこの2日間でひしひしと感じました。

いろいろな方に「また来年ね」と手を振っていただき、名残を惜しんで帰ってきました。福島の皆様、たいへんお世話になりました。どうもありがとうございました。
2017/04/01
福島県剣道女子稽古会におじゃましてきました。出発前日になって頂いたご案内をよく見たら、1日目の稽古内容に「八段以上基立ち」とあり・・えっ、八段の先生がそんなにたくさんみえるの?と表題をよく見ると『全剣連東北地区合同稽古会』と書いてありました。

全剣連!?と驚き、お邪魔してよいのか悩み、おそるおそる会場を覗くと女子の先生方が手招きしてくださり、意を決して参加しました。

せっかくなので福島県の先生にお稽古をいただこうと並んだ吉崎先生は、蹲踞から立つと、ニコニコしながら「水田道場の本を持っているよ」と話しかけてくださり、少し緊張が解けました。

お稽古はいただけませんでしたが、昨年2月の遠征でお世話になった紺野先生にもご挨拶できました。

吉崎先生、廻り稽古でお世話になった先生方、どうもありがとうございました。
2017/03/30
ご本人にお許しをいただきましたので、小林先生をご紹介します。先日、受審一回目で六段にご昇段されました。

水田道場には、どんなに早く着いたと思っても必ず私より先にいらしている先生が2人いらっしゃいます。そのうちの一人が小林先生です。

暗い道場に入って、床にモップをかける小林先生の後ろ姿を見るとホッとします。道場にいらした水田先生の防具をお預かりして並べるのも小林先生、最後に戸締まりをして帰るのも小林先生です。修行とはこうするものだよ、とその背中が教えてくださっているような気がします。

帰り支度が遅くなって、先生方が「ほらもう帰るぞ!」とお声をかけてくださり慌てている時も、「大丈夫、まだ居るから」とニコニコして待っていてくださいます。

小林先生はこのホームページはご覧にならないはずなので、心の中で小林先生を「道場の守護神」とお呼びしていることはここだけの内緒にしておきたいと思います。
2017/03/29
「僕もまだまだできていないんだけどね」と言って水田先生は立ち上がりました。稽古が終わって、長いご挨拶の列は私が一番最後でした。

水田道場では、水田先生へのご挨拶の列はまっすぐ一列になりません。みな少しでも先生の言葉を聴こうとして横へ延びます。高段の先生方へのお話は難しい気がして、「いつか分かる時がくるといいな」と思って胸にしまいます。子ども達へのお話は分かりやすく、思わず後ろで一緒に頷いてしまいます。水田先生の子ども達への眼差しと言葉が温かくて、嬉しい気持ちになるひとときです。

自分も立ち上がって先生の少し後を歩きながら、どんなにすごい達人も「まだまだ」と思いながら道を歩いているのだな、と思いました。
2017/03/28
だいぶ暖かくなってきましたので、春の詩を載せます。

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニングという人が書いた詩を、上田敏が訳したものです。『海潮音』という訳詩集に載っています。
2017/03/27
神栖に引っ越した藤原くんが、春休みになって稽古に来てくれました。藤原くんは今、俊水館に通っていて、毎日稽古しているそうです。

今日は水田先生がお留守で、先生にご挨拶できなかったのを残念がっていましたが、いろいろな先生にお稽古いただいて、「振りが速くなったな」「前より積極的に打ってくるね」と褒められていました。

しばらく会わない間に背丈もぐんと伸びた気がして、「今度何年生になるの?」と訊いたら、「平成29年度に中学一年生になります」としっかりした答えが返ってきました。きっと勉強も頑張っているんですね。
2017/03/23
近所の木蓮のつぼみがいよいよ大きくなってきました。

フィリピンから来た大学の先生が「この花が一番好きです。とても上品で愛らしい。フィリピンにこの花がないのが残念です」と言いながら帰国して行かれたのを、この花を見るたびに思い出します。

「花は、薄い色、淡い色のものからだんだんに咲いていくらしい」というのは上司の情報です。
2017/03/20
水田先生に「もっとホームページを更新するように!」と言われてうろたえています。

先生は「山崎先生のホームページは毎日変わっているのに、道場のホームページはこの3ヶ月何も変わっとらん」とおっしゃっていましたが、毎日変わっているか見てくださったのだと思うと、そして3ヶ月もの間「今日も変わってない」とがっかりなさったのだと思うと申しわけなく、とにかく何か書かねば!と思います。

かといって、道場一のヘナチョコを誇る(?)私が剣道について何か書いていいわけがありません(というわけで、稽古に来られなくて水田先生のお話が聞けなかった方、この日記からは何の情報も得られません。あしからずご了承ください)。

道場でA先生に「何を書いたらいいんでしょう」とご相談したら
「○○さんが昇段しました、とかそういうことでいいんじゃないのか」
「それはニュースに書いてます」
「祝賀会をしました、とか」
「それもニュースに書いてます」
A先生はうーん・・と考えてくださり、
「○○先生にお孫さんが生まれました、とか」
「おお!」

そんなわけで、お孫さんが生まれた先生は漏れなく教えていただければ幸いです。このホームページでお祝いしたいと存じます。