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日々是好日-道場での日々Days in Dojo (Japanese only)

ホームページの管理人の日記です。

Index
 2019年  12月   31日  ポケトーク
 30日  冬休みの入口
 28日  一合と一升
 11月   30日 山崎先生のお餅 
 26日  あっという間の
 10月   9日  先生の前では
 1日  茨城国体閉幕
 9月   29日  国体剣道競技開会式
 16日  香田先生のご来訪
 11日  水田道場のTシャツ
 9日  ある日の稽古
 7日  筑波大卒の皆さんの活躍
 8月   13日  真夏の稽古
 12日  ききょ:起居、跪居、気胸!?
 1日  旅を終えて
 7月   31日  九州訪問5日目
 30日  九州訪問4日目
 29日  九州訪問3日目
 28日  九州訪問2日目
 27日  九州訪問1日目
 15日  朝の稽古
 3日  先生はお見通し
 6月   16日  全日本女子選手権予選
 15日  社会体育指導員初級 更新講習会
 11日  別世界への扉
 5日  言葉の移ろい
 3日  梅仕事
 1日  梅取り
 5月   24日  柿の摘蕾
 5日  京都大会最終日
 3日  小林先生初出場
 2日  剣道八段審査
 4月   21日  選抜剣道八段優勝大会
 15日  ディエゴさんからの写真
 13日  山崎先生の筍
 3日  『剣道時代』の取材
 1日  ドロシーさんの里帰り
 3月  30日  審判長のメモ
 20日  水田先生と吉沼先生の稽古
 13日  整理整頓
 3日  韓国からの家族
 2月  24日  梅一輪
 20日  子どもたちの挑戦
 18日  剣道研究会
 11日  いつか九州に
 9日  花巻の思い出
 6日  五段を頂いて
 1月  9日  形の稽古
 7日  稽古初め
 2018年の日記はこちら
 2017年の日記はこちら
2019/12/31

電器屋で「ポケトーク」を見かけました。ポケトークは74言語を双方向に翻訳してくれる機械です。軽いし、カメラでテキストを写すとそのまま翻訳してくれる機能もあるとか・・それなのにこのお値段とはどういうことか!?と思いながら手に取りました。

アムハラ語、ウルドゥー語などはまだ名前を聞いたことのある言語ですが、カンナダ語?スンダ語?どちらの言葉ですか?と思わず機械に向かって訊きたくなるような言語まで入っています。試しに日本語の「ありがとう」をまったく知らない言葉に翻訳してもらうと、機械から知らない言葉が聞こえてきて、画面には知らない文字が表示されました。文字も出してくれるなんて!なんと楽しい機械でしょうか!

こうして世界中の人が言葉の壁を感じることなくいろいろ話し合えるようになるのはいいことだなと思います。

でも、言葉の役割は「言いたいことを相手に伝える」だけではないのです。ひとつひとつの単語に意味というものがある以上、言葉は「言いたいこと」以外のものも運びます。

たとえばイタリア語で「それではまた」は
  Con amicizia ー conは「~と共に」、amiciziaは「友情」
  Cari saluti ー cariは「親愛なる」、salutiは「挨拶」
というそうです。
どちらも手紙の結びに使われる語句ですが、使われている単語の意味を知っていれば、それぞれの語句を使う場合も、相手も、おのずと変わってきます。

ヴェネチアのエルマーノ先生がタオルを指して「アッシュガマーノ(イタリア語でタオル)」と言った私に「アッシュが乾かす、マーノが手っていう意味なんだよ。タオルはもともと”手を乾かすもの”っていう意味なんだ」と教えてくれました。タオルに出会ったイタリア人は、顔でもなく体でもなく、手を拭いたんだなあ~と、なんだか嬉しくなりました。

翻訳機械の精度はどんどん上がっていくでしょう。「しとしと雨が降る」と「ざあざあ雨が降る」の違いを、雨の降らない地域の言語に訳し分けてくれるのかもしれません。でも「だから言葉の勉強はもうしなくていい」という日は来ないような気もするし、来てほしくないなあと思っています。

2019/12/30

冬休みがやってきました。毎年のことですが、年末にふと気づくとなぜか家の中が大変なことになっており、冬休みだからといっていきなりノンビリするわけにはいきません。

久しぶりに家じゅうに掃除機をかけ、時々なだれのおきる食卓の上の書類を片付けます。紙の山は見事にこの一年の地層を成していて、真ん中くらいで夏に行った波戸岬のパンフレットが出てきました。海と夕日が本当にきれいだったなあ~としばし思い出に浸り、さらに掘り進めると、春の同窓会の案内が・・なんだこれは、出欠の返事も出していないじゃないか?そして一番下には2019年の我が家の年賀状の余り分がありました。

本当にジェットコースターのような一年だったと思います。無我夢中でしたが、楽しいことが沢山ありました。剣道の先生方、道場の皆様、職場の同僚や家族・・周囲の方々のお陰でいい一年だったなあと思います。このあと大物の洗濯、仕事帰りの時間には閉店してしまうパン屋さんに行き、野菜も買って2020年のジェットコースターに備えて下ごしらえをしておこうと思います。

2019/12/28

初美さんと話していて、鈴木家はお米を炊く時は「一升炊くよ」と言うのでびっくりしてしまいました。

「うちは一回一合だよ」と言ったら初美さんもびっくり、「一合って・・どうやって炊くの?」と訊かれてしまい、一合のカップにお米一杯と水一杯だよう、と答えながら、逆に一升ってどうやって量るんだろう?一合のカップで10回量るのかな、それとも大きな一升カップっていうのがあるのかな?と、あれこれ考えてしまいました。

うちは2人で暮らしています。たまに大人数でワイワイ食事をする機会があると、家族が多いと楽しいなと思いますが、準備する食事の量が人数に比例して増えていくのだということに初美さんと話していて気づきました。

なんでもテキパキとこなす初美さん、あの仕事の速さは一升食べるご家族のお世話を一手に引き受けて培われたものなんだなあと思いました。

2019/11/30

秋も深まり空の高いある週末の朝、山崎先生のお家にお餅をいただきに行きました。

「餅つきに来るかい」と誘っていただいた時に「でも臼と杵はもう使わないんだよ。機械だよ」とおっしゃっていたので、2合くらいのお米がプンプン回ってお餅になっていく炊飯器のような餅つき機を想像し、お家の中にお邪魔するのだなと思い、いつもジャージに長靴でお邪魔している我が身を反省してスカートをはいて行きました。

「そんなお出かけの格好で来たの!」と先生と奥様に大笑いされて、「!?!?」と見渡すと、お米はお庭の釜で蒸されていて、その近くで4升のお米がひと抱えもある大きさの機械の中でブンブン回っていました!

つきたてのお餅は、ちぎって納豆に入れて一口、思わず立ち上がって「納豆もち、サイコー!」と思わず叫ぶ美味しさでした(山崎先生も叫んでいました)。

山崎先生の奥様が煮てくださった小豆がこれまた美味しく、お漬物もまた美味しく・・気がつくと息をするのも苦しいくらいの満腹でした。

山崎先生のお家のお餅は、フンパツして買った「新潟なんとか米」のパック餅の百倍、お米の味が濃いような気がしました。こんな美味しいお餅でお正月を迎えられるなんて、なんて豊かで幸せな暮らしだろう・・と、そんな暮らしのおすそ分けをしてくださった先生ご夫妻に感謝し、のし餅をいただいて帰宅しました。

・・そのお餅でお正月を迎えようと思っていたのですが、あまりの美味しさに食べ始めると止まらず・・暮れまでになくなりそうな予感です。

2019/11/26

久しぶりにホームページを更新して、日記がお留守になっていたことに気がつきました。このところ仕事が少し立て込んでいた上に、道場のTシャツとキーホルダーが出来上がって、イラストを描いてくれたダビデさんと、お揃いのロゴにするのを喜んでくれたヴェネチア水田剣道クラブのみんなにそれを送ることになったりして、のんびり屋の私には珍しく少し忙しかったのです。

11月は本当にあっという間に過ぎて行きました。

この一ヶ月の一番の思い出は何かなあと振り返り、全日本選手権大会の翌日、水田先生の後をついて門下生達と空港に向かった時のことを思い出しました。

少し混んでいる神戸空港行きのモノレールで座れてホッとしていたら、水田先生がつと立ち上がったのです。そのまま出口の方へ向かい、赤ちゃんを抱いている若いお父さんに席を譲られたのでした。

まったくボンヤリしていた自分を猛省しました。「いいから若い人は座っていなさい」とおっしゃる先生の笑顔を見上げながら、全日本選手権のような大変な大会で一日審判をされた翌日、ただ家にお帰りの時もきちんとスーツを着て周囲への気配りも欠かさない、この先生の姿を私はいつまでも憶えているだろうと思いました。

2019/10/09

山崎先生は指導されていた中学校の剣道部が全中に出たことがあるそうです。「みんなで大騒ぎして支度して行ったんだよ。楽しかったなあ」と話してくださったことがあります。

その当時の稽古が相当厳しかったであろうことは、勉強会で一度、山崎先生と中学校剣道部の部活動のメニューを書き出してみた時に分かりました。「ここの休み時間は15分もいらないなあ。ちょっと面を外して水を飲めればいいんだからね」とおっしゃる山崎先生を見ながら、もし自分が先生の剣道部にいたら続けられただろうかと思いました。

当時山崎先生にお稽古をいただくのは全中に行くチームの一員が優先だったろうと考えると、こんな私でも先生にお稽古いただけることがどんなに特別なことかとあらためて思います。中学生の気持ちでかかろうといつも思います。

「水田先生の前では中学生みたいになっちゃうんだよなあ」と嘆く山崎先生のお言葉にうなずきながら、私も先生の前では中学生の気持ちですと心の中で呟きました。

2019/10/01

「国体、終わったんだね。なんだか夢から醒めたような気持ちだよ」林先生がぽつんとおっしゃいました。ホッとしたような、ちょっと寂しそうなお顔だなと思ったのは私だけでしょうか。

今年の茨城国体は全部門で茨城県の優勝となりました。茨城のチームは厳しい稽古を積んで準備万端とお聞きしていましたが、それでも成年男子の優勝が決まった時、林先生は「ちょっとウルウルしちゃった」のだそうです。

4年間を県の強化選手として、またチームドクターとして走って来られた林先生、きっと沢山いろいろなことがあったんだなと思い、「お疲れさまでした」と心から頭を下げました。

2019/09/29

日本剣道形一本目、水田先生が左上段からの太刀を香田先生に振り下ろした時、それまで少しざわついていた会場が水を打ったように静まりかえりました。お二人の気迫が会場の隅々まで浸透していくのが見えるようでした。

本番直前、いつも泰然自若とされている水田先生も、大学の公開講座ではよく冗談を言って受講生を笑わせてくださる香田先生も、今まで見たことのない厳しい表情で座っていて近づくこともできませんでした。素晴らしかった前日のリハーサルのように進みますようにと祈るような気持ちで、お二人を会場の入口で見送りました。

本番はそのリハーサルを更に超えたといろいろな先生が言ってくださったそうで、本当に素晴らしい演武だったのだと思います。

着付けを担当した方は緊張のあまり眠れない夜を過ごしたそうです。両先生をお慕いするいろいろな人たちの思いと祈りを受けて、素晴らしい演武を披露してくださった水田先生と香田先生、一生の思い出をいただいた気持ちです。

心から御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

2019/09/16

今日の稽古には筑波大教授の香田範士がいらっしゃいました。茨城国体「剣道競技」の開会式で水田先生と剣道形を演武されるため、その稽古にいらしたのです。

稽古に参加した門下生は、範士お二人の剣道形とそれについていろいろ話し合う両先生の姿も拝見できるという幸運に恵まれました。大会の演武とはまた違い、間近で見る刀の剣道形は先生方が等身大なだけにものすごい迫力でした。

ひととおりの稽古が済むと、先生方は見学の門下生に感想と意見を求められました。範士の先生に畏れ多い・・と最初は遠慮していた門下の先生方も、剣道形を磨いていこうという範士お二人の姿とお気持ちに打たれ、思いきって忌憚のない意見を述べていらっしゃいました。

それを参考にされてひとつひとつを確認しながら、お二人の剣道形は回を重ねるごとに更に迫力を増し、輝きを増すようにみえました。
水田先生の左上段、それに応じる香田先生の右上段を拝見しながら、本物の剣道形ってこれかー!と思いました。開会式が楽しみです!

2019/09/11

水田道場のTシャツを作っています。胸のハチはイタリアでプロのイラストレーターをしているダビデさんが「Tシャツに印刷するならこれを」と”水田先生ハチ”を描きおろしてくださいました。水田先生が初めてイタリアにいらした時にかぶっていたポンポン帽子が目印です。

背中の文字はヴェネチアのミズタ剣道クラブのTシャツとお揃いです。両道場の友情の証として「Venezia」の文字も印刷することになりました。

ヴェネチアの道場から頂いたTシャツを着ていたら「水田道場のTシャツなの?」といろいろな方に尋ねられ、水田道場のTシャツも欲しいね、という話になりました。ただいま試作を重ねて、色や布地の厚さを検討しています。出来上がりが楽しみです!

2019/09/09

今日は基本の稽古で水田先生がお手本を見せてくださる時のお相手をしました。先生がお手本を見せてくださる時の相手はたいてい高段の先生ですが、いつもそうとは限りません。小中学生が前に呼ばれる時もあるし、私が呼ばれる時もあります。

前に呼ばれたら、それは先生のお手本を正面から見るチャンスです。この機会を逃してはならない!と全身を目にして先生の面打ちを受けるのですが、先生が動き始めると竹刀の先のみならず何もかもが自分に向かってくるような気がして固まってしまいます。もし逃げようとしてもきっと動けないでしょう。この串刺し感は何だろう?と思います。

2019/09/07

東京の防具店で偶然、筑波大学卒で現在は警視庁にお勤めの竹ノ内さんに会いました。国体の選手として茨城に来られるというお話から「今度、全日本の予選にも出ますよ。観に行かれますか?」とおっしゃるので、行けたら絶対に応援しますとお約束しました。

竹ノ内佑也さんは筑波大学在学中に全日本選手権で優勝しました。当時、筑波大の公開講座に通っていた私は、子どもたちが憧れの「竹ノ内くん」と一緒に写真を撮ってもらうために作る行列にいつも笑顔で接している彼を、世の中にはすごい学生さんがいるなあ~と思いながら見ていました。

竹ノ内さんはついでに私のことまで憶えていてくださり、警視庁に奉職されてからもどこかの大会などで行き会うと「ボクのこと憶えてます?」と話しかけてくださって、そりゃ私は憶えてますけど!と仰天したものでした。

お昼前に会場に着いて竹ノ内さんが優勝するところまで見届けることができました。プログラムを見ると全日本選手権の予選となるこの「第58回東京都剣道選手権大会」にエントリーしている選手はなんと194人、シード選手ですら6回勝たないと全日本に出場できません。筑波大の公開講座でお世話になってきた学生さんたち(今は立派な社会人です)も多数出場されていて、ついついあちらもこちらも応援してしまいました。

竹ノ内さん、全日本選手権でもご活躍をお祈りしています!

2019/08/13

猛烈な暑さの昼下がり、つくば市内の剣道場で水田道場の稽古が始まりました。昨日の稽古は、「祝日なのでちょっと早い時間に稽古を始めて、そのあと暑気払いをしよう!」ということになりました。夏は毎年ご出張続きで忙しい水田先生が、珍しくお盆の季節に県内にいらっしゃるのです。飲まない手はありません!?

おいしく飲むためには稽古もしっかり・・最初は円陣になって準備運動、水田先生がひとつひとつの動きを解説してお手本を見せてくださいました。イテテテテといううめき声と共に「結局水田先生が一番柔らかい」という呟きも聞こえて、高校で体育を教えていらした水田先生のまた違う一面が垣間見えたような気がしました。

剣道形の稽古も水田先生が一本一本、注意事項を説明しながらお手本を見せてくださいました。最後に吉沼先生と山崎先生が刃引きで剣道形の演武を披露されました。午後の日差しが眩しいほどの道場に、緊張感が満ちて一瞬暑さを忘れました。

そのあとの稽古は時間的には短かったと思うのですが、これでもかというほど汗をかいた頃に終了しました。それぞれが全力で頑張りました。乾杯のあとの一杯は「この世にこんな美味しい飲みものが!?」と思うくらい美味しかったです。

ご出張からお戻りの翌日なのに稽古を快諾してくださった水田先生に感謝しつつ、暑い日の稽古もいいなと思いながら帰りました。

2019/08/12

「おはようございます。朝早くすみません、跪居のような、気がするのですが?」
お昼近くになって発見した川島先生からのメッセージは、朝の8時37分に頂いたものでした。

跪居・・ききょ?何のことだろう・・と考えて、あれ?気胸の変換間違いかな!?と思った瞬間から私の勘違いは暴走を始めました。

気胸で入院した同僚が「すっごく苦しかった」と話してくれたことを思い出し、バリバリの消防士だった川島先生が誰と間違われたのか私にメールしてくるなんて、よっぽど苦しかったんじゃないかと思い、慌てて川島先生の携帯に電話してみましたが留守電です。

どうしようどうしよう、もう救急車で運ばれちゃったのかな、どーうしよーう!!と肝心なところで役に立たない自分を呪いつつ20分も家の中を右往左往し、とにかくご家族に様子を聞こう、と、意を決してご自宅にお電話しました。

「はい」と出てきた男性の方に「あの、川島さんのお宅でしょうか、わたくし水田道場の」まで言ったところで「声でわかる!」と言われてしまいました。あれ?先生ご本人?・・・お元気そう?

よく聞いたら川島先生は「起居」と書いたこの日記の誤字を指摘してくださったのでした。ホッとしまくって「なんだあ~」と失礼なことを叫びながら、先生が元気でよかった!と思いました。

2019/08/01

今回の九州訪問は、水田先生のご縁でいろいろな方と出会い、ご挨拶を交わし、ご厚意を受けて、忘れがたく実り多い旅になりました。みんなで九州に行きたい、水田先生の故郷を訪ねたい、という門下生の願いを叶えてくださった水田先生に感謝は尽きません。

旅を終えた翌朝は夢から醒めたような気持ちで、そうだ仕事に行くんだった!と出勤したら机の上に書類の山が築かれていて、慌ただしい日々に一気に引き戻されました。 今回は同じ仕事をしている人と休みの希望が重なってしまい、いろいろな方に無理をかけて出かけた旅になりました。

自分の持ち場もあるのに仕事の負担を申し出てくれた人、不便になるのを承知で「いいよ、行ってこいよ」と言ってくれた上司にも感謝したいと思います。「剣道の修行に行くんだから強くなるんだろうなあ?」というご期待に沿えないのだけが残念ポイントです。

水田先生の故郷を巡って、先生が家族、友人、先輩、多くの方々にとても大切にされていることが分かりました。そのことを吉沼先生にお話ししたら「そりゃそうだよ。水田先生が周りの人たちを大切にする人だからな」と笑顔で答えてくださいました。吉沼先生のお言葉もきっと、ずっと忘れないだろうと思います。

2019/07/31

太宰府天満宮は、右を向いても左を向いても中国語が飛び交っていて、想像していたのとは少し違う所でした。

中国の方になぜ太宰府天満宮が大人気なのか、親切そうな中国人に話しかけて聞いてみたかったのですが、万が一私のアヤシイ中国語が通じても答えが聞き取れない!ということに思い至りました。

山崎先生が「梅ヶ枝餅を食べましょう」と皆を誘ってくださり、一息ついている時に、カードが使えない中国の方が隣のテーブルで困っていました。おそるおそる近づいて「アナタ、他のカード、ナイデスカ?」と言ってみると、なにやら小さな機械に囁いてからそれをこちらに向けました。画面を見ると「わかりません」と書いてあってガックリしました。次回までにもっとしっかり勉強しよう・・と自分用の学業守を買いました。

2019/07/30

水田先生のご実家にお邪魔しました。先生のお話は、これまでは挿絵のない本を読むようで、建物からの灯りを頼りに剣道の稽古をしたお寺の境内や、畳の目に沿ってお父様に足さばきを教えてもらった居間など、想像するしかありませんでした。「ここが」と教えていただき、歴史上の場所に来たような気がして、感動と不思議な気持ちとが半々でした。

暑い日でしたが、先生はご実家の近所も案内してくださり、いろいろなお話をうかがうことができました。吉沼先生や山崎先生も聞き入っておいででした。

ふだん道場ではぎりぎりまで稽古しすぎて、すべてが素早い先生方でさえ荷物をまとめて飛び出すのが精一杯です。

この旅では、道場の先生方がゆっくり水田先生のお話を聞いたり質問されたりしているのをよく見かけました。旅に出て、とてもよかったなあ〜と思いました。

2019/07/29

唐津にある田代潤一先生の武道具専門店「天風堂」にお邪魔しました。お店の隣にギャラリーがあり、水田先生の竹刀が展示されているのを発見しました!

田代先生は水田先生の弟さんと同級生なのだそうです。両先生がちょっと懐かしそうに昔話をされるのを拝見して、いよいよ水田先生の故郷が近いんだなと思いました。

水田先生の言葉もだんだん佐賀弁(?)に戻ってきました。私は水田先生が「ばってん・・」とおっしゃるのを初めて聞きました。知らない言葉が時々出てきて、九州弁の会話はとても面白いと思います。

そのまま波戸岬の先端まで行き、玄界灘に夕日が沈む雄大な景色を心に刻みました。

2019/07/28

今日は嬉野温泉の近くの体育館で剣道の講習会です。講師は水田先生、受講生は地元の中学生と小学生です。 水田先生は最初に佐賀県で育ったご自分の自己紹介をされた後、礼法、跪居など、基本から丁寧に解説をされました。道場や講習会などで何度もお話をうかがっているはずの私もまた、一受講生としてお子さんたちの後ろから首をのばしてお話を聞きました。

後半は剣道具を着けて、水田道場でいつもしている基本を稽古しました。吉沼先生が解説を担当され、山崎先生がお手本を見せてくださいました。 私はまだ面を着けた姿も初々しい小学校低学年とおぼしき子どもたちと一緒に受講していましたが、「それではやってみましょう」となった時のお子さんたちの気勢にびっくりしました。発声も面打ちも全力、小さな身体の全身全霊がまっすぐぶつかってくるようです。

厳しく指導されてもへこたれている子はおらず、トイレに行きたいと言って抜けた子も用事が済むとお母さんに紐を結んでもらって走って戻ってきます。九州ってすごいなあと思いました。

石丸先生、峰松先生、佐賀の先生方、講習会に参加させてくださいましてどうもありがとうございました。たくさん勉強になりました。ご指導いただいたことを忘れず、またいつかお稽古いただける日を目指して頑張ります!

2019/07/27

長崎空港、朝の10時。出迎えてくださった厚労省剣友会の中山先生に「初めまして、水田道場の・・」と挨拶し、私たちの旅は始まりました。

半月ほど前に東京から水田道場に出稽古にいらした濵田先生が長崎のご出身だったことから「長崎に行くなら知り合いを紹介する」と言ってくださり、中山先生に案内を頼んでくださいました。

中山先生とは全員が初対面でしたが、一緒にお昼を食べて平和記念公園、稲佐山展望台、大浦天主堂を回るうちにすっかり打ち解けて、夕方お別れする時にはなんだか名残惜しい気持ちでした。中山先生、どうもありがとうございました。

2019/07/15

今日の稽古はつくば市内の道場を借りて午前中に開催されました。雨もよいの朝でしたが、道場は窓から光が差し込んで明るく、夜の稽古とはまた違った雰囲気でした。

いつもより長い時間稽古ができるため、門下生からお願いして前半は剣道形を水田先生にみっちり見ていただきました。いつもは稽古全体の終了時間を気にして剣道形の稽古が終わると慌ただしく剣道の稽古に突入するのですが、今日は「何か質問があれば」と先生が言ってくださり、いろいろな質問が飛び出しました。

東京とつくば市内から七段の先生が出稽古にみえて、稽古はいつにも増して活気のある充実した雰囲気となりました。

稽古の後、水田先生は「こうしてわざわざ出稽古に来てくれる人の稽古は、求めているのが伝わってくる。その姿勢は見習うべきです」とおっしゃってお話を結ばれました。

7月8日(月)に帰省先の横浜から訪ねてくれたメルボルン謙志館の松本さんも、「夕方の稽古はありますか?」というお問い合わせに急なお返事をしたにもかかわらず稽古にみえた七段の先生お二人も、時間や距離という障害を超えて水田道場に来てくださったのです。

先生のお話を忘れずにいこうと思いました。

2019/07/03

「疲れているな」
水田先生の前に進み出て、ありがとうございましたと手をついた途端に先生は開口一番そうおっしゃいました。

今週4日間にわたって職場で大きな会議が開かれました。国内外からお客様をお迎えすることになって、私も動員された多くの人達の末尾で右往左往していました。それでも稽古に行きたくて早い時間に出勤し、もくろみが外れて残業もすることになり・・確かに疲れていたかもしれません。

しかしそれが稽古に出るようでは、なんのために道場に来たのか分からなくなるという悔しさで
「いいえ、疲れておりません!」
と、必死に抵抗しました。すると水田先生はちょっと困ったように苦笑して
「あのね、そういうのはこっちには分かるもんなんだ。疲れている時は休みなさい」

はい終わり、というように立ち上がった先生の背中を見送りながら、先生に隠せる事は何もないなと思いました。

ご出張から帰ってきた翌日も大学で稽古された後で道場にみえた日も、稽古十分の七段、六段の先生方といつもと変わらず稽古している先生のお疲れが、私に見える日は来るのでしょうか。

2019/06/16

なっちゃんが「お久しぶりです」と連絡をくれました。今日、茨城県で開催された全日本女子選手権の予選会について「一回戦は二本勝ちでしたが、二回戦で負けてしまいました」というお便りでした。

事務局のお手伝いで予選会の申込書を送ったのが私だったので、律儀に報告してくれたのだと思います。試合で疲れている日に私にまで結果を連絡してくれるなっちゃんのお人柄に、私は見習わねばならない点が山ほどあります。自分はこんな風にできるだろうかと自省しつつ、そんな彼女が水田道場で育った人であることを嬉しく思いました。

なっちゃんのメッセージには「負けてしまいましたが、とても良い経験になりました。またこれからも頑張っていきたいと思います」とありました。

なっちゃん、大学生になってなかなか道場で会えなくなってしまいましたが、なっちゃんが勝っている時も負けている時も、それから試合をしていない時も、道場の先生方と一緒にいつも応援しています。水田先生の教えてくださったことを忘れずに、強い人たちにたくさん揉まれて、いい稽古をたくさんもらって、なっちゃんの剣道を磨いてほしいと願っています。

健康と怪我に気をつけて、頑張ってね!

2019/06/15

6月15日(土)BumB東京スポーツ文化館で開催された社会体育指導員初級の更新講習会に出席しました。

受講生は200人近く、たった一日の講習会の時間割は日本剣道形、審判法、基本技稽古法、指導法と多岐にわたりましたが、指導計画が非常に綿密に組まれていて、受講生は充実した内容の講義を受けることができました。

水田先生も講師としておいでになり、日本剣道形の講義を担当されました。剣道形成立の経緯についてのお話に続き、お手本を演武しながら注意するべきポイントの説明がありました。受講生は先生の両側に分かれ、静まりかえって先生の一挙手一投足を見守りました。

道場で「最近、剣道形について勉強している」と話してくださった先生の剣道形は、以前道場で見せてくださったお手本とまた少し変わったように思いました。横から見ているのに前に進み出る先生の迫力に押されるような気がして、隣に座った受講生を見ると拳をぎゅっと握っていて、ああきっとこの方も同じ気持ちだなと思いました。

最後に先生は「剣道形の一人稽古をお勧めします」と言って講義を結ばれました。私も一度やってみようと思いました。

2019/06/11

ヴェネチアのファビオさんが送ってくれた近況メールに「子どもたちが夏休みに入った」とありました。国にもよるらしいのですが、一般にヨーロッパの学校の夏休みは長く、その中でも特にイタリアは長いようです。

子どもの頃に読んだ外国のお話には夏休みに冒険をする子どもたちがたくさん出てきました。けれどもその頃の私にとっては外国は想像上の国であるナルニアと同じくらい遠い別世界でした。本の中の「夏休みを迎えた子どもたち」は、本の虫だった私にとってとても近い存在でありながら、決して会話をする望みのない人たちでした。

そんな別世界で夏休みを迎えた子どもたちと、しようと思えば電話で話せるようになったのだということに、ファビオさんのメールを読んでいて突然気がつきました。そのご縁を、別世界への扉を開いてくださった水田先生への感謝とともにしみじみ感じた初夏の一日でした。

2019/06/05

山崎先生のホームページ、6月4日の「言葉あれこれ」を読んで吹き出してしまいました。

古きよき言葉が失われていくことに憤慨する先生のお気持ちに共感を覚えつつ、一方で言葉はどんどん変わっていくからこそ面白いとも思います。2018年1月に第7版が出版された『広辞苑』も、「がっつり」「ごち」「ちゃらい」などの言葉を新たに収録したことで話題になりました。

以前は「やばい」という言葉にはマイナスのイメージしかなかったのに、最近は出した料理に若い人が「これ、ヤバイ」と言ったらそれは褒めてくれているのだそうで・・難しいことになってきました。

私もアナウンサーが番組の中で「炎天下のもと」などと言うのを聞くとガックリしますが、道場で「はあ?そんなの聞いてないし!」と叫んでいる山崎先生はとても楽しいのでアリかな!と思うのです。

2019/06/03

山崎先生にいただいた梅でジュースを作りました。水をはったボールに梅を入れ、ひとつひとつ丁寧に洗ってキッチンペーパーで拭き、爪楊枝でヘタをとります。

そして梅と氷砂糖を交互にビンに入れて、酢を大さじ7杯(山崎先生はコップ1杯とおっしゃっていましたので、お好みで)ほど入れて、梅から水分が出てくるまで毎日ビンを上下に返して振るのです。

その作業のひとつひとつで、梅ってとてもきれいだなと思います。緑の実だからなのでしょうか、水をはじきながらボールに入っている梅もヘタをとられて並んでいる梅もひとつひとつが涼しげで、見ていると夏が来るなあと思います。

2019/06/01

山崎先生のお家に梅をいただきに行くのはもうこれで何度目でしょうか。一人でお邪魔したり、水田道場の皆さんとお邪魔したりしながら、もう何年も梅をいただきに通っています。

今年もお天気の良い土曜日の朝に山崎先生のお家の梅林にお邪魔しました。大きくなった梅はひとつひとつが胸を張って空に向かっているようで、その姿はとても可愛らしいと思います。枝から取ってしまうのがもったいないのですが、今日は山崎先生が「わくわく広場」に出荷する分の梅も収穫しなくてはなりませんので、のんびり作業してはいられません。

梅は買ったら梅仕事に時間がかかりますから、きっと土曜日にたくさん売れるだろう、今日がその日だ、と思って必死に収穫しました。

袋詰めをしながら量ったら30kgもありました。山崎先生が膨大な数の梅から傷のあるものをより分け、袋に入れて秤に載せるとちゃんと1kgで、その手際の良さにびっくりしながらお手伝いをしました。

その後はまた先生と奥様と楽しいお茶の時間を過ごして、梅をたくさんいただいて帰りました。山崎先生、奥様、どうもありがとうございました。

2019/05/24

柿の摘蕾の季節になりました。たくさんついた蕾を摘んで、ひと枝に一つか二つだけ蕾を残します。柿を大きくするための作業です。今年はなかなか仕事が休めず、私の柿の木の世話をしなくてはと気になりつつも5月半ばを過ぎてしまいました。

山崎先生に「もう花が咲いてしまうぞ」と言われて、金曜日の午後にようやく休みをもらい、山崎先生の農園に出かけました。

先生と奥様は田植えの仕上げ作業中でしたが「いらっしゃい!」と笑顔で歓迎してくださり、柿の木の畑まで一緒に来て様子を見てくださいました。今年は蕾があまりつかない年らしく、私の柿の木の隣にある木は大きな木なのに全然蕾がついていないのだそうです。

どういう具合か、私の柿の木は昨年と(たぶん)同じくらい蕾が付いていましたので張りきって作業を開始しました。

暑い日でしたが、空は青く、柿の青葉はぴかぴかと光って、何度か脚立の上からしばし景色に見とれてしまいました。気持ちのよい午後に楽しく作業は進み、先生と奥様とお茶をいただいて帰りました。

山崎先生の農園を懐かしがっているイタリアの皆さんに山崎先生ご夫妻の写真を送ったところ「この場所を知っている!」「奥様のお料理が美味しかった!」とすぐに返事が来ました。

みんなの思い出を作ってくださる山崎先生と奥様に、イタリアの皆さんと一緒に感謝いたします。

2019/05/05

5月5日、全日本剣道演武大会最終日の演武は八段の先生方の立合です。武徳殿の観客席は朝から満員、範士の立合が始まる頃には立錐の余地もないほどになりました。

審判員の洋服から剣道着と袴に着替えられて、立合に向かわれる先生方の表情は穏やかな中にも厳しく見えて、水田先生が「京都大会の立合は一年の修行の成果を見てもらう場」と道場で話してくださったことを思い出しました。

つい先日まで「五段!?そんな上の段は今いらないんです、三段さえいただければ!!」などと叫んでいた私にとって「八段になった後は何を目指すのだろう?」という疑問は「宇宙の果てには何があるのだろう?」と同じくらいの遠い「?」でしたが、全国の八段の先生方の必死の姿をたくさん拝見して、八段になっても上を目指して行く・・ということなのかもしれないと思いました。

「自分はここが良くなかったと思う」と話し合っている範士の先生方、ご自分の立合のビデオを何度も見て「ここがダメなんだよなあ」と呟いている先生方をちょっと遠くから拝見し、八段を目指していた時と同じ気持ちと努力で先生方は更に進んでいこうとされているのだと感じました。八段の先も宇宙と同じく果てがないなあと思いました。

2019/05/03

京都大会は今年も暑くなりました。3日の朝、全日本剣道演武大会出場者による朝稽古に出かける水田道場の先生方、同宿の先生方の勇姿です。

初出場の小林先生は、東西に分かれた演武場の東の46番目に立合をされました。水田先生をはじめ、いろいろな先生方から「いい立合だった」というお言葉をいただいたと話してくださり、武徳殿と武道センターの中庭にできたお店を見て回ってから「いろいろありがとう!」と手を上げて帰って行かれました。

きっと忘れがたい思い出をたくさん手にして帰途につかれたのだろうと思います。私もいつか、京都大会に出られるように頑張ろうと思いました。

2019/05/02

例年は平日の八段審査の日程が今年は休日になったので見学に行きました。袴をつけているのは七段の先生だけ、という会場内は姿勢も着装もきっちりしている先生ばかりで、ひしひし伝わってくる緊張感にハンナリーズアリーナの入口で早くも圧倒されました。

日本の資格試験の中で合格率が一番低いと言われる剣道八段審査、年に二度しかない審査です。修行を積み、この日に臨む先生方の集中のお邪魔になってはなりません。会場では日頃お世話になっている茨城県の先生方も何人かお見かけしましたが、心の中で失礼をお詫びしながら黙礼して通り過ぎました。

全然いないだろうと思っていた女性の受審者も何人も見かけ、嬉しくなりました。また二次審査の審査員の机が長いのにも驚きました。椅子を数えたら9つもあって、審査員が多い!と驚いていると、横で審査をご覧になっていた八段の先生が「私の時は14人いましたよ」とおっしゃるので、更に驚きました。

自分にとって遙かに遠い八段審査ですが、最高峰の審査を見学できてよかったと思いました。

2019/04/21

プログラムを見て、審判員が9人しかいないことに驚きました。選抜剣道八段優勝大会、八段の中でも最高峰の先生方の大会の審判員の中に、私たちの先生が選ばれていることの嬉しさと誇らしさは水田道場の全員が感じる気持ちと思います。

しかし閉会式の後で先生を撮った写真を見ていただくと、先生はご自分の姿勢を指して「ああ、まだまだだねえ」と呟きました。えっ、どの辺がまだまだか???と思って写真を凝視していると、先生は「昨日の稽古も反省するところが沢山ある」と続けられました。

役員、審判員、選手の先生方による大会前日の稽古のことをおっしゃっているのだなと思い、先生が挙げられたいくつかの反省ポイントを必死に反芻してみましたが、稽古中の先生が感じられたことと未熟すぎる自分の見た事象がまったく一致せず、あまりに深くて高い世界に目まいのする思いでした。

まずは自分の理解できるところから・・いつも反省を欠かさない先生の謙虚な姿勢に人としての歩き方を学ぼうと思います。

2019/04/15

ヴェネチアのディエゴさんが「息子が切り返しをしているところ」と、写真を送ってくれました。

後ろのお城(?)がヨーロッパっぽいなあと眺めていて、ふと皆が戸外にいるのに気がつき「外でも剣道の稽古をするの?それとも何かのお祭なの?」と訊いたところ「昨日、ヴェネチア・コミック・フェスティバルというのがあったんだ。うちはヴェネチア界隈で唯一の剣道の道場なので、主催者の招待を受けて剣道を紹介したんだよ」という返事が来ました。

ディエゴさんの息子さんのセバスティアーノくんは、お父さんと稽古のデモンストレーションをして、剣道がお子さん達にも適しているということを、ヴェネチアの皆さんに紹介したのだそうです。

イタリアで剣道をしている皆さんにどうして剣道に興味を持ったのか聞いた時、きっかけが日本の漫画やアニメーションだったと答えた方がずいぶんいました。剣豪やサムライの話を読んで、日本の心をもっと深く知ろうと剣道を始めたという人が多かったのです。

始めてみてから、漫画やアニメーションのようにかっこよく動くのは大変だ!と思ったのではないかと思います。更に剣道を深く知ろうとすると日本語の壁もあります。剣道具も袴も道着もそんなに簡単には手に入らないようです。しかし様々な困難にもめげずにこうしてヨーロッパで剣道を続け、誇りを持ってそれを紹介している仲間たちがいるんだと思うと、嬉しくなりました。

写真の中の懐かしい皆さんの顔を眺めているうちに、また会って一緒に稽古がしたくなりました。

2019/04/13

今日は朝から山崎先生の竹林にお邪魔して筍を掘りました。昨年に引き続き私の上司もやってきて、楽しい春の朝となりました。

水曜日に「来るかい?」とお話をいただいた時は「今年は筍があまり出ないので5本くらいしかないけど」だった筍が、「うかがいます」とお返事した金曜日には7本になっており、この日の朝には12本になっていました。掘っているうちに更に2,3本見つかって、大きな筍の大量収穫となりました。

これまた昨年に引き続き、筍掘りの後はおいしいお茶をいただきました。お茶をいただきながら、私はこの後水田先生のお宅に筍をお届けする時間はあるだろうか、帰る途中に岡野先生には届けよう、などと何本いただけるか分からないながら取らぬ狸の皮算用をしていたのですが、いざ帰る段になると上司は筍が全部入った箱をポン!と自分の車のトランクに積み、山崎先生に「今日はありがとうございました」と深々と頭を下げ、唖然と見送る私の前から走り去って行きました。

剣道の世界がそうなのか、水田道場に水田先生の姿勢が浸透しているからなのか、山崎先生のお家の農産物をお渡しすると必ず「こんなに頂いてあなたの分はあるのか?」と尋ねられます。誰に渡してもそう訊かれるのです。まず相手や周りの人のことを考え、最後に自分のことを考えるという先生方の自然な反応から、知らず知らずのうちに多くのことを学んでいたことに今になって気がつきました。

私もいろいろな方にいろいろな事を許していただいてここまで来たのだと思い、感謝しながら気をつけていこうと思いました。

2019/04/03

水田先生が『剣道時代』の取材を受けられました。

「刃筋と鎬の使い方」についてのお話だそうで、先生は「いろいろな先生にいろいろな意見があると思うから、お受けするのを迷っていた」とおっしゃっていましたが、私はプロのカメラマンの方が撮った写真と一緒に先生の説明を活字で読めるのが楽しみで、引き受けてくださってよかったなあとひそかに思いながら遠くから見学しました。

受ける器の問題で、稽古から帰って必死に書いている私の剣道ノートは、たぶん誤解と間違いのオンパレードではないかと思います。水田先生や道場の先生方がご覧になったら(そんな日が来ないことを祈るばかりです!)「こんな話はしてないぞ」ということになるでしょう。

先生のお話を正しく受け取れる方(記者の方も剣道の先生なので)が、記事にされたものを読んでまた勉強だ!と思います。

2019/04/01

ドロシーさんが水田道場に里帰りしました。物理の研究者(たぶん・・一度、専門の話を詳しくしてもらおうとしたのですが、受け取る側の頭がついていけず、最初の方で断念しました)のドロシーさん、今はカリフォルニア大学のバークレー校で研究員をしています。

「日本に行く」とメールをもらったのが先月でした。「京都に行く途中で茨城に寄りたい」というので、だいぶ強引な寄り道だな、京都の学会に行くのかな、と思っていましたが、会ってからよく聞いたら「先週結婚したのでこれは新婚旅行」とのことでした。

ドロシーさんを見て「久しぶり!」と歓迎してくださった水田道場の先生方に「ええっ、それじゃ新婚旅行に剣道具を持ってきたの?」と驚かれ、「バカだなあ」と喜ばれていました。

彼女のこれからの人生が喜びと幸せに満ちていますように、と思いながら駅で「またね!」と手を振りました。

2019/03/30

水田先生が第28回全国高等学校剣道選抜大会(春日井市)の審判長をされたとのことで、道場のみんなにクッキーのお土産をいただきました。

高校時代に運動と縁のなかった私はこんなお土産があるということにもびっくりで、包装紙に出場校が列記されているのを見て、これはいい記念になるなあ~と自分が出場したわけでもないのに嬉しくなりました。

お話をうかがいながら審判長のメモも見せていただきました。一回戦からほぼすべての試合の記録と良かった点や先生の感想がびっしり書いてあって、びっくり・・を通り越してその詳しさにもう驚愕でした。いくつもある試合場で同時並行の試合をどうやってこんなに詳しくご覧になったのだろう、と思うほど詳細なメモでした。

苦労して県の予選を勝ち抜いて、一回戦で敗れ去った高校の試合も審判長はちゃんと見ていたのだと思うと、これまた自分が出場したわけでもないのにありがたいなとしみじみしてしまいました。

2019/03/20

今日は稽古の人数が少なめで、八段2人、七段4人、六段1人・・と、私でした。剣道を始めてやっと12年目に突入したばかりの私ですが、自分のことはさておき、この日揃った先生方が充実した稽古をたゆまず積んでその場に立っていらっしゃることは薄々分かるようになってきました。

ピシッと伸びた背中、構えて立つ姿、機を捉えてすかさず打つ足、水田先生はもちろん、水田先生にかかる先生方の所作も稽古も私にはひとつひとつが勉強で、一瞬一瞬過ぎ去るのが惜しいくらいです。

剣道形の稽古が終わって最初に吉沼先生が水田先生にかかりました。吉沼先生はいつも稽古の最後まで並ぶ人の列が絶えないため、ご自身はなかなか水田先生にかかる機会がなくて、お稽古を頂きながら申しわけなく思っていました。よかった!と思い、滅多に見られない稽古を見学させていただくことにしました。

稽古の後で吉沼先生は「息がどんどんあがっていって戻らないんだ。大変だったよ!」とおっしゃっていました。吉沼先生にかかる時の私もそれです!と心の中で叫びましたが、レベルがあまりに違うので、とても口には出せませんでした。

2019/03/13

「竹刀の手入れをしている時は楽しい」といつか水田先生がおっしゃった言葉を忘れられずにいます。稽古の後、そっと先生の竹刀を見せて頂くと、使い込んである竹刀でも、いつもきれいに拭いてあって、中結いもきちんと結んであって・・なんというか、「整っている」感じなのです。

振り返ってすべてがゴチャゴチャの自分・・会社の書類カバンと防具と着替えと竹刀とお茶のセットを全部道場に持ち込んで、帰る時にいつも収拾がつかなくなります。どうやって持ってきたんだろう?と真剣に悩みます。岡野先生は「待っててあげるから」とニコニコ、散乱している物を整理しながら渡してくれる初美さんのおかげでなんとか帰れる状態になります。

ちなみに竹刀の手入れも苦手です。
先生の竹刀がすべてを語っているのかもしれないと思います。自分の中も外も整えて来たるべき勝負を理路整然と迎え討つ、この落ち着きと余裕、万端の準備が私にはない!

先生の高みには全部がほど遠い私ですが、千里の道も一歩からといいます。まずはもう少し荷物を減らしてみよう・・と思う今日この頃です。

2019/03/03

スキー場のエレベーターで、ヨチヨチ歩きの小さなお子さんを連れた若いご夫婦と乗り合わせました。お母さんがお子さんに挨拶しなさいと促すように「アンニョンハセヨ」と言うと、手を引かれた小さな子は私を見上げてにっこり、私も慌てて「アンニョンハセヨ!」と笑顔で返しました。

韓国から来たのですか?と英語で聞くとお父さんが「Yes」と笑顔で答えてくれましたが、たぶん英語の会話はこの小さな子には分からない、なにかハングル語で言えないかなあと焦って頭の中を探しても、あと私がちゃんと言えるハングル語ときたら「オイペックハジュマラジュセヨ(きゅうりパックはやめてください)」だけなのです。

もっとハングル語を勉強しておけばよかった〜!と自分で自分にガックリしながら「楽しんでね!良い一日を!」と英語で言うと「あなたも」とご夫妻が微笑みました。

韓国と日本はいま政治的にはいろいろありますが、そのさなか、日本に小さい子を連れて来てくれる人もいて、こんな風に和やかに挨拶を交わせるんだと思って嬉しくなりました。草の根交流というのでしょうか、でも自分の目の前のお付き合いを大切にしていきたいなと思いました。

2019/02/24

ぽかぽかの陽気となった日曜日の午後、山崎先生の農園にうかがって柿の樹皮削りをしました。

時には先生とお喋りしながら、時には一人で黙々と樹皮を剥く、そんな時間が豊かで楽しいなあと思います。台所でジャガイモの皮を剥くのも、ゴボウの皮を剥くのもこんなに楽しくないのにどうして?と考えて、時間に追われて何をするにも「早く早く」と思い、自分の作業が遅いのに焦りながら暮らしていたことに気がつきました。

こんな風に目の前の作業に丁寧に向き合って、楽しんでするのは大切なことだなと思いました。

樹皮削りが終わってから先生と農園を横切って梅の花を見に行きました。「まだそんなに咲いていないんだよ」と山崎先生のおっしゃるとおり、花は日当たりの良い箇所で少し開いているだけでしたが、どの枝の蕾もこぼれそうに膨らんで、春の盛りの訪れを予告しているようでした。

山崎先生、どうもありがとうございました。

2019/02/20

先生の剣道着と袴をたたみながら「もうちょっと若い人も先生のお世話をしたらいいよね?」と千加代先生がぽつんと言ったひと言がきっかけで、最近子どもたちが水田先生の剣道着と袴をたたむのに挑戦しています。

帰りも遅くなるしどうかな?と思いながら、送迎してくれている子どもたちの親御さんに相談すると「勉強になります。ぜひやらせてください」と思いがけず積極的に賛成してくださり、ご本人たちにお願いすると「やります!」とニコニコ。

お父さんもお母さんも「教えていただいてすみません」と言ってくださいますが、私も男の子たちが男子更衣室に先生の袴を受け取りに行ってくれるので、もうお着替え中の先生方をびっくりさせないですむ・・と思うと逆に感謝です。

袴の紐と格闘している子どもたちに着替え終わった水田先生が「ほらほら、寒いぞ!遅くなっちゃうぞ!」と心配されながらもあれこれお話をしてくださいます。千加代先生が「もうちょっと若い人も」とおっしゃったのは、こうして先生の間近でいろいろなお話をうかがえるチャンスを若い人にも渡そうよという意味だったんだなと思い、肝心な時にひと言くださる千加代先生にあらためて感謝の念がわきました。

2019/02/18

水田先生が剣道研究会にいらして、今年も稽古の前にそのお話をしてくださいました。なんだか神々の世界を覗くようで、私は剣道研究会のお話を聴くのが好きです。

稽古は75歳以上の先生が元に立ち、若手の八段の先生方はかかる方に並ばれるのだそうです。私でも知っている有名な先生が何人もお話に出てきました。

先生ご自身も45分間並んで「水田まで」と言っていただいて稽古を頂くことができた、待っている間に小手の中に冷や汗をかきました、とおっしゃっていました。いつでも泰然自若というイメージの水田先生が冷や汗をかきながら見学する稽古ってどんなだろう!と思うと、透明人間になる薬ができたらまず剣道研究会に行ってみようと思います。

2019/02/11

水田先生が九州のお土産を道場の皆に買ってきてくださって、道場はまた嬉しい笑顔と先生へのお礼に溢れました。

私は一度も九州に行ったことがありません。関東生まれ関東育ちの私は修学旅行も奈良・京都でしたし、大学に進んでも貧乏学生に九州は目の回るほど遠い場所で、縁のないままでした。

ところが剣道を始めてから私の周りにだんだん九州出身の方が増え、最近よく「九州ってどんなところだろう?」と考えてしまいます。

まず水田先生が九州のご出身です。それから上司の前の職場が熊本大学でした。熊大の方とお話しする機会があると、女性もたいてい「小さい頃剣道をしていましたよ」と言うのです(そのあと「あんな辛いこと、大人になってからよくされますね~」と続きます)。水田先生が「九州で稽古している子はね、そこで休まないんだ。一本に対する執着が違うんだ」と道場の子どもたちに話しているのを後ろで聞き、子ども時代にたいてい一度は剣道を経験する環境なんだろうなあと考えると、九州の稽古って厳しいんだろうなと思います。

九州の稽古の厳しさを体験するには私のレベルが足りないかもしれませんが、水田先生を育み、また全国で活躍される先生方を育てた九州の地を、いつか一度この目で見てみたいなあと思います。

2019/02/09

亡くなった父は宮澤賢治が好きでした。父の遺品の宮澤賢治全集の横に並ぶこの4冊を手に入れた日、思わぬところで水田先生のお目にかかったのを思い出します。

父が亡くなって2年後の2014年夏、宮澤賢治記念館とイーハトーブ館を訪ねるために岩手に向かうことにしました。レンタカーの手配をし、宿を予約したことを話していたら「えっ、花巻に行くの。ちょうどその日が審査なんだよねえ!」とおっしゃる七段受審の先生が・・。

駅から体育館が遠い、という話になり、レンタカーで盛岡駅にお迎えに行って花巻総合体育館にお送りする約束となりました。

審査をちょっと見学したあと宮澤賢治の関連施設を回り、大満足で新花巻駅から新幹線に乗ろうとした時、改札からちょっと離れた場所に立つものすごく姿勢のよい背広の一団が視界の端に入りました。この暑いのになんと涼やかに立っている人達だろうと思いながら通り過ぎようとした時、七段受審の先生が「ほらほら、あそこの先生には挨拶しなくちゃだろ?」と止めるので、岩手県に知り合いはいませんけど?と思いながらよくよく目をこらすと、水田先生でした。

このビシッとした背広の一団は、七段六段審査の審査員の先生方だったのです。剣道の先生方と思わなかった私はよく見ようともしていませんでした。水田先生は、飛んできてご挨拶した私に驚きながらも「あ、そうか。審査の応援か」とニコニコされました。違います、ずっと来たかった宮澤賢治の旅に来たんです、と説明したかったのですが、宮澤賢治について延々話すには新花巻駅は暑すぎました。

蒸し暑い駅の構内で、2日間の審査でお疲れの後なのに静かに淡々と立っていらした先生方の姿を、これからもこの4冊を手に取るたびに思い出すと思います。

2019/02/06

今日、稽古の後で「毎日ホームページを見ているのに、どうして五段になったことを書かない!」と先生方に口々に言われてしまいました。水田道場で五段なんて、書かなくても・・と申し上げたら「そういうものではないよ」と諭されました。

たしかに私の場合、水田先生に教えていただくことがなかったら、五段を受審することなど考えられませんでした。水田道場に入門した時、私は二段で、打ちと踏み込みがまったくバラバラでした。道場を率いてもおかしくないような先生方がずらりと並ぶ水田道場でかなり異色の存在だったと思います。

けれども「初心者こそ最初に良いものを見た方がいいんだ」と言ってくださった先生がいて、「水田先生がさっきおっしゃってたこと、やってごらん」と見てくださった先生がいて、そして稽古の前後に笑顔であれこれ話しかけてくださった先生方がいてくださいました。できないこと満載でしたが、稽古に行くのは楽しみでした。

水田先生と先生方に頂いた段だと思います。嬉しいというより、この段に追いつかねばという気持ちです。幸運なのは、水田先生がそのために歩くべき道をはっきり指し示してくださっていることです。先生が「道から外れた時は引き戻す」と稽古の後のお話でおっしゃったことをいつも思い出します。

悩むことも迷うこともあると思いますが、先生を信じてこれからも頑張っていこうと思います。どうもありがとうございました。

2019/01/09

剣道形の面白さがちっとも分かっていなかったと思います。剣道形をひと通り憶えた頃の私は「あとは講習会で教えてもらった注意事項に注意しながらきちんとした形で技を出せるように練習すればいいのでは」と考え、剣道形ってなんだかちょっと退屈だなあと思っていました。

ところが水田道場の形の稽古は違うのです。水田先生がお手本と共に説明してくださることは「そうなの!?!?」「そうだったの!?!?」の連続です。「ヤー」と「トー」の一往復だけと思っていた打太刀と仕太刀のやりとりは実は一本の中で何往復もしていて、試しに突いてみていると思っていた七本目の気当たりはそんなものではありませんでした。

「はい、やってみて」と言われて、水田先生が今してくださった説明をどれだけ実現できるか・・水田道場の形稽古は一挙手一投足が緊張の連続です。今日は風邪でお休みの先生が多かったので、形の稽古は更に緊張感を増しました。私は息をするのも忘れるんじゃないかと思うくらい緊張しました。

でも、形って退屈だなと思いながら「やー」と木刀を振っていた頃に比べて剣道形は面白い!と思います。水田先生は「みな上手になったね」と笑顔で褒めてくださいましたが、もっとちゃんとできるようになりたいと思います。そうしたらまた更に面白いものが見えるのだろうかと思います。

2019/01/07

働き方改革の一環だそうで、毎年仕事始めの日に行われていた職場の「新年挨拶」が、今年は4日(金)ではなく7日(月)の終業後に行われました。

センター長と所長の挨拶を聞いたらもう飲食どころではありません。乾杯のために持っていたコップを仲の良い同僚に押しつけて、職場の玄関を飛び出しました。

道場に着くと、いつもの先生方がまるで昨日の続きのように準備運動を始めていました。水田道場の人たちは剣道に対してすごく真剣だと思います。高段の先生方は更に高いところを目指して必死ですし、私はその姿をせめて見失わないように必死です。稽古は厳しく、うまくできないまま失意のどん底で帰途につくこともあるのに、どうして道場に来ると「帰ってきた」と思ってホッとするのだろうと思います。

私の後からも仕事帰りの方が続々やってきて、稽古後の整列はだいぶ長くなりました。「仕事が始まったからね。遅刻したけど今日は来られたよ」と笑顔でおっしゃる先生方を見て、今年も頑張ろうと思いました。